Onry Me
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| 2002年04月08日(月) |
調理師免許を取った理由�� |
私は料理があまり得意ではないにも 関わらず調理師免許を持っています。
月日が経つのは早いもので今年の秋で私が 1年半もの期間通った調理師の学校を卒業 して調理師の免許を取ってから丸2年が経 とうとしています。
そもそも何故、料理が得意でない私が 調理師の免許を取ろうと思ったのかと 言うと、それは父にお願いされたからでした・・・。
父は、とにかく料理が得意な人でした。 芸能人の梅宮辰夫のように、とにかく 料理を作って人に食べさせるのが好き な父でした。
洋食、中華、和食・・・、 我が家では、母が料理をするよりも 父が料理をすることの方が圧倒的に 多く、また美味しかったのです。
私にとってのお袋の味は 間違え無く父の味でした。
父の作る料理の全てが本当に 美味しかったんです。
不況で仕事が減少した父は普段、 私や母よりも家にいることが多くて、 仕事で忙しい日意外は、ほぼ毎日、 私たちの為に朝ご飯や晩ご飯を 作ってくれていました。
我が家は普通の家庭とは違い、 父と母の役割がある意味逆に なってる部分がありました。
仕事で毎日帰りが遅い母とは対照的に、 仕事が早く終わる父が主婦ならぬ主夫? として、朝は早起きして母の弁当を作っ たり晩ご飯の仕度までをしていました。
父には事業の失敗で結構な額の 借金がありました。
普段から父は、その事で母から事ある ごとに嫌味を言われていました。
もしかしたらその事で母に対して申し訳ない との気持ちがあり、積極的に家事全般をして いたのかも知れません。
でも、父が料理を作るのが好きだったのは 紛れも無い事実でした。
父は本当に心から料理を作るのが 好きな人だったのです。
それは、父が私に対して、再三に渡って 調理師の免許を取ってくれと頼んでいた ことからもわかりました。
父には以前から夢がありました。 ・・・その夢とは、 老後、60代になったら空気のいい 田舎で母と2人で小さなペンションを 開きたいという、ささやかながら料理 好きの父らしい夢でした。
「1日、1客でもいい。 お客さんに心の底から喜んでもらえる ようなペンションを持ちたい。」
自分の手で無農薬の野菜を栽培して 自分の手でその材料を調理して、 お客さんに食べてもらう。
田舎の小さなペンションで お客さんに自分の作った料理を 食べて貰うのが父の長年の夢でした。
「調理師の免許を取ってくれよ!!」
私が20代の前半から再三に渡って 父から言われていた言葉です。
父曰く、自分はもう年で調理師の免許なんて とても取れないからお前が取れとれとのことでした。
家族で調理師の免許を1人ぐらい 持っていた方が何かと便利だから 調理師の免許を取ってくれと言うのが その頃の父の口癖でした。
そんな父の夢を十分知ってはいたものの 当時の私は料理を作ることには、さほど 興味はありませんでした。
勿論、料理を作ることは嫌いではなくて ちょっとした料理は自分でよく作って いましたが、学校に通ってまで料理を したいとは思ってもいませんでした。
・・・それから数年が経った頃。 25歳になった私は漠然と、将来の自分の 仕事に対する不安を感じるようになっていました。
今の仕事のままでいいのか? 将来自分は何をしたいのか?
いろいろと考えるうちに、私の頭の中で 次第に将来的に自分が本当にやりたい事が なんなのかが具体的なイメージとして浮か び上がるようになっていました。
その頃の私は将来的に自分の会社を持って 飲食業の経営をやっていければと思うよう になっていました。
何かを始める事はとてもリスクの あることは十分承知していました。
借金に苦しんでいた父の姿を身近に 見てきて私自身不安もありました。
でも私は仕事に安定を求めたいとは 思いません。
どうせ一度きりの人生なんだから 結果はどうあれやれるだけのことは やって死にたいと私は常に思っています。
それに自分のアイデアや実力が社会の中で どれだけ通用するのかを見てみたいとも思 っていました。
その為には調理師学校での勉強は将来の 自分にとって間違えなくプラスになる筈だ と私は心からそう思いました。
父の夢。私の夢。 利害が一致した私は迷うことなく調理師の 専門学校の夜間部に通うことにしました。
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