心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2013年06月04日(火) 危機と成長

このサイトへのアクセス数はこれまで3,000/日ぐらいだったのが、3月から6,000/日とほぼ倍増しています。3月の何が影響したのか(あのシンポジウムか?) 無差別なアクセスが増えている可能性もあるので、セキュリティ対策のためCMSのアップデートをしておきました。

さて、少し前に掲示板でこんな文章を取り上げました(文章は田辺等先生のもの)。

> G.キャプランという、かつて地域における精神保健活動で指導的な活躍をした精神科医は、危機は、人がそれまでのその人なりのやり方では解決できないが故に危機なのであるが、そうであるからこそ、人は平時以上に、新しい対処法、新たな取り組みへの助言や指導に耳を傾ける。だから、危機は、人がそれまでにない新たな方法を身につけて、大きく成長していくチャンスでもある、という主張をしています。
http://www.knt.co.jp/ec/2013/jhcpa56/aisatsu.html

キャプランの危機理論というやつです。

「危機」は、問題を克服できない状態です。そこには混乱と動揺があります。

「アルコール依存症になって、飲みたい酒をやめなくてはならなくなった」という事情そのものは危機ではないと思います。多くの人が自分なりのやり方で酒をやめてみようとします。そして、ある程度それに成功します。

自分のやり方で断酒が続いているうちは、その人に危機という意識はないか、あっても薄いものでしょう。このまま断酒が続いて酒の問題が解決されていくという希望を持っていますし、周囲の人もそれを期待します。

しばらくすると、再飲酒が起こります。目端の利く人なら、次は別のやり方で酒をやめてみます。それでも失敗すると、また別のやり方を試します。そうやって何種類かの解決手段を試し続けるうちは、やっぱりまだ「危機」とは言えないのだと思います。

やがて万策尽きます。その人の行動レパートリーの中に解決手段が含まれていないことが明らかになります。つまり自分のやり方では酒をやめられない、ということが分かります。これこそが本当の危機です。

その人は混乱し、動揺(絶望)するでしょうが、危機は成長へのチャンスだと言います。つまり自分のやり方では解決できなかったのだから、新しい方法を身につければ良いのです。そのために、それまで拒んできた助言や指導に耳を傾けることができるようになります。

イネーブリング理論とか底つき理論は、この「危機」を早くもたらすために、周囲が本人を手助けせずに突き放す必要があるという考え方でした。最近この理論が否定されつつあるのは、本当の危機が訪れるまでには長い時間がかかり苦しみや損失を不必要に増やすこと、また絶望して死を選んだり、危機に直面しても変わることが出来ない人が多い、という欠点があるからです。

人間には知能があって、未来を予測することができます。自分が飲まなくても、同じ病気の他の人が飲んだことを知って、再飲酒が自分の身にも起こる危険の高いことを知ることもできます。十分な情報を提供されれば、実際に危機と絶望を体験しなくても、いま自分が十分危機的立場に置かれていることが理解できる人は少なくありません。デタッチメントからコミットメントへと時代は変わりつつある(はず)。

AAで「自分の考えを使うな」と言われるのも、「新しいやり方を身に着ける」という考え方をすると理解しやすくなります。今までの自分が持っていなかった(持っていても使えなかった)やり方だからこそ、「新しいやり方」が必要なのです。

人は信念や信条というものを持ちます。信念や信条はどうやって身につくのでしょうか?

生きていれば大小いろんな問題が起きます。問題に直面して、人に教えてもらったり、自分で試行錯誤して、何とか解決手段を見つけ出し、問題を克服します。次に同じ問題が起きたとき、今度はもう試行錯誤を繰り返すことはせず、前回やってうまく解決できたやり方で問題を解決します。こうして成功体験を繰り返すことで、「こういう場合には、こう考えてこう行動すると良い」という信念・信条が出来上がります。

その信念・信条が、問題をうまく解決できているうちは「危機」ではありません。でも、解決できないからこそ危機になったのであり、そのときに「自分の考え(信念・信条)」を頼っていたのでは、危機を克服できません。

人間は、問題に直面し新しい対処方法を身に着けることを繰り返して、徐々に精神的に成長・成熟していくのだと思います。人生の中でこれがたくさん起こるのは、思春期から20代前半でしょう。この時期に若者たちは、現実にぶち当たり、苦悩し、そして精神的に成長していきます。

アルコホーリクはこの時期に酒を飲みだした人がほとんどです。他の人たちが、悩み、成長している一方で、アルコホーリクは苦悩を酒でごまかして、自分を成長させることがないまま、おじさん・おばさんになってしまったわけです。ジョー・マキューは、私のところに来るアルコホーリクの考え方はたいていティーンエイジャー並だと言っています。僕はむしろ加藤諦三の言った「五歳児の大人」という言葉のほうが合っているように思うことが多いのですが・・・。

こちらによれば、五歳児どころではない「二歳児」だといいます。こうなると霊的な幼稚園どころじゃない、乳児院だよ。

クズ野郎の正体、または二歳児にバスを運転させない方法
http://powerless.cocolog-nifty.com/alcoholic/2013/05/post-4525.html

話し変わって、「危機」は二種類に分けられるそうです。ひとつは「状況的危機」で、これは震災や事故、死別、離別などによるもの。予期し得ない出来事によって、それまでの安定していた状態が脅かされるものです。

もうひとつは「発達段階における危機」です。アルコホーリクの危機がどちらの危機なのか、言わずもがなでしょう。ある医師が「12ステップは、その人が大人になる過程で身に着け損ねたものを、まとめて身に着けさせてくれる手段だ」と表現したそうです。賛成です。

(身につけ損ねるばかりでなく、せっかく身につけたのにアディクションに耽溺する中で失ってしまったものも少なくないだろうと、考えています)。

アルコールの人も、薬物の人も、ギャンブルの人も、そのほかの依存の人も、ACの人も、みんな頭の中はティーンエイジャー(or五歳児or二歳児)みたいなものです。「精神的に若い」のと「精神的に幼い」のは違います。頭の中が幼いままで、社会から大人としての役割を期待されたら、そりゃ人生はストレスばっかりでしょう。解決は自分が成長することです。

12ステップは「今のあなたのままで良い」とは言いません。成長、つまり変化を要求します。

(ただ、世の中には「変えられないもの」もあります。例えば最近話題の発達障害などは、変化できないからこその障害です。変化できないものを変化させようとすれば、苦しみはかえって増大します。けれどまったく何もかも変わらないわけではありません。「二つのものを見分ける賢さ」が必要なのは言うまでもありません)。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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