心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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2012年10月31日(水) 現実検討について(その1)

現実検討能力(reality testing)という話をします。現実検討識とか、現実吟味なんていう訳語もあるみたいですね。

しかし、僕は現実検討能力について詳しいわけではありません。僕は心理学や精神医学の徒ではないので、系統だって勉強したことはありません。じゃあどうしているかと言えば、例えば「現実検討」という言葉がでてきたら、それについての短い文章を読んで、「だいたいこういう事を指しているらしい」と理解する程度です。

他の人が現実検討能力について話をしているときに、その文脈での言葉の使われ方と、僕の頭の中の理解に齟齬がなければ、概ね正しい理解をしているのだろうし、何か引っかかりを感じればヒマな時に本でも読んでもっと勉強しとかなくちゃマズイなと考えるわけです。

最近は雑記の読者が増えてしまったので、あまりうかつな事を書くのも恥ずかしいと思い、ちょっとだけ調べ物をしてから書くことにしていますが、それでも読者の方々には、僕の文章は常人的な理解に過ぎないことは憶えておいて欲しいのです。

現実検討能力とは、自分が頭の中で感じていることと、外の世界で現実に起きていることの差を捉えることです。主観(内的事象)と客観(外的事象)を区別する能力とでも言いましょうか。

発達障害を抱えたスポンシーとの対話も、現実検討に関する話が多くなっています。例えば、ホームグループで自分は他の皆に受け入れられていない、疎外感を感じる、という話が出たとします。

なぜ受け入れられてないと感じるのか、と詳しく聞いてみるとします。すると・・・。

今日ミーティングでAさんと一緒になったが、Aさんは不機嫌な表情をしていた。きっとそれは自分に対して腹を立てているに違いない。その理由はハッキリとは分からないが、きっと自分の○○なところや××なところが気に入らないに違いない。あるいは、自分が過去にやった何かに対して、まだ腹を立てているに違いない。そんなAさんと一緒にいるのは具合が悪い。

などという話を聞くことになります。ここで真相を確かめるまでもなく、Aさんは腹を立てている事実はありません。

人はいつでも機嫌良いわけではありません。不機嫌になるには様々な理由が考えられます。奥さんと喧嘩したからかもしれないし、金の事で悩んでいるのかも知れない。昨日の晩に夜更かしして睡眠不足なのかも知れないし、腹が減っているだけかも知れません。スポンシー君に対して立腹している可能性は低いし、本当のところは尋ねてみるしかありません。(発達障害の人の中には、人の表情を読み取る能力が低いために、不機嫌な表情じゃないのに不機嫌だと捉えちゃう人も多いことも関係している)。

「自分に対して腹を立てている」というのは、自分の感じ方です。それは本当らしく感じられるわけですが、自分の外の世界で起きている現実は違うかも知れない。その差を把握できるのが、現実検討能力です。

退屈な会議はたとえ10分と短くても、1時間のように長く感じられます。一方で、好意を抱いている異性との電話は10分間は、ほんの2〜3分であるかのようにあっという間に過ぎ去ります。でも、どちらも同じ10分であることは、知性を使えば分かります。

(発達障害のあるなし関係なく)人は精神的に調子を崩すと現実検討能力が低下するもののようですし、現実検討能力が低下すると、さらに調子を崩していくものみたいですね(デフレスパイラル的な)。

スポンシー君はAさん以外の人とも同じような体験を繰り返し、結果的にグループで自分が疎外されているように感じるに至ったというわけです。現実にはグループで暖かく迎え入れられているので、疎外されているなどと訴えたら他のメンバーにとっては心外でしょう。場合によっては、謂われのない非難をしたとして逆に嫌われ、イジメの原因になってしまうこともあるのかもしれない。そうなったら空想の被害体験が、現実のものになるわけだ(さすがにウチのグループではそうはならないだろうけど)。

上司が自分だけに叱責を繰り返すのは、上司が自分を嫌いだからイジメているに違いない・・というような訴えも、よくよく職場で観察するように勧めれば、実は上司は他の社員にもまんべんなく注意をしており、たまたま自分のミスが多いせいで注意される機会が人より多目だっていうだけだったりします。これも、「上司に嫌われてイジメられている」という感じ方と、現実との違いが捉えられていないからです。

主観(感じ方)と事実が完全に一致することはないのでしょうが、両者の間に差があること、自分の感じ方が事実とは限らないことは、分かってなくちゃならのだと思うのです。


12ステップの立場から見ると、この「現実検討能力の乏しさ」は、恐れや恨みにつながることが多いと思われます。

先に挙げた例を見るまでもなく、存在しない被害体験を作り出したり、軽微な被害を過大に深刻に捉えたりして、相手に対する恐れや恨みを作り出していきます。あるいは被害は現実であっても、トラブルの発端が自分にあるのに、責任を相手に帰着させていたりします。棚卸しを聞き慣れた人に言わせれば、「アル中の恨みは、ほとんどが逆恨みに過ぎない」そうです。現実検討能力の乏しさが、逆恨みを実現していると言えます。

棚卸し表というのは、恨みという内的な事象を手がかりに、外の事象との軋轢を視覚化して表現するものです。文章ではなく表にすることで、視覚化がうながされ、見通しが良くなります。

人から現実検討能力が完全に失われることはないので、表がちゃんと書けていれば、表を見ただけで、自分のつまらない欲望を充足させるために、人との間に軋轢を招いていた自分の愚かしさが見えてきます。たいていの人は、自分自身に対してお尻がこそばゆくなるような恥ずかしさを憶え、相手に対して申し訳ないという気持ちも持つようになります。

ところが、この能力がさらに乏しくなると、表を書いて、それを見ても、自分の何が悪いのか把握できなくなります。どうも、人は精神的に具合が悪くなるほど、主観(感じ方)を補強するような事実ばかり集め、主観を否定する材料は捨ててしまうような、認知のフィルターを持っているようです。そして、具合が悪くなればなるほど、そのフィルターは性能をいかんなく発揮してくれます。

そんな場合には、棚卸し表の内容も、相手が悪く自分は被害者という内容に傾きがちです。表だけを頼りにすることはできません。「グループで疎外される」とか「上司に嫌われてイジメを受けている」という話しか書いてないのですから。だから、認知のフィルターなりバイアスの向こう側にある、より客観的な事実を探らなくちゃならないのですが、そのために必要なのは「常識」とか「考える力」なのでしょう。

(スポンサーであれカウンセラーであれ)少なくとも棚卸しを聞く側は、話す側より回復している必要があるでしょう。同じレベルだと、一緒になって「疎外する方が悪い」「イジメをするほうが悪い」という被害者ごっこを演じることになってしまい、「自分の側の掃除」をすることができなくなります。12ステップに取り組むもの同士は、お互いに助け合うと言っても、関係が対称であっては手助けにならないみたいです。

(続く)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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