心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年11月02日(水) さらに、依存と中毒について

前の雑記で、アディクション(嗜癖)は、依存と中毒の組み合わせであると説明しました。

中毒とは毒に中(あた)ることで、アルコールという毒性のある物質を摂取することにより、健康が害されることです。健康が害されるのは肝臓・腎臓といった内臓ばかりでなく、脳にも影響を及ぼします。

依存という言葉は、身体依存にのみ着目していました。これは血中濃度が下がってくると現れる離脱症状がある状態です。離脱症状には不眠・振戦・頭痛・吐き気・抑うつ・てんかんなど様々なものがあります。身体依存という言葉を使っていますが、これは中枢神経系の異常で、中毒の結果です。

中毒が依存を引き起こし、その離脱症状の不快を避けようと摂取を続けて、さらなる中毒を引き起こす、それがアディクションです。

さらに、身体依存のハッキリしないコカインにおいて精神依存が着目されるようになりました。コカイン依存には身体依存がないのに、強い欲求があります。いや、アルコールなど他の依存にも、離脱症状下にないのに「飲みたい」という欲求があります。それを精神依存もしくは渇望と呼びます。

話は脇に逸れます(この雑記は話がしばしば脇に逸れるので長くなる)。
ビッグブックにも渇望という言葉が出てきますが、そこでは渇望を最初の一杯を飲んだあとに引き起こされる欲求に限定して使っています。最初の一杯を飲む前の欲求は、とらわれ・強迫観念・狂気という別の言葉で表現されています。しかるに、医学においてあるいは一般的には、渇望という言葉は、再飲酒を引き起こす前の欲求と、最初の一杯を飲んだ後の欲求の、両者に区別なく使われています。その意味の違いが混乱を招くこともあるようです。

あへん(モルヒネやヘロイン)には極めて強い身体依存があり、自律神経嵐と呼ばれる強烈な離脱症状が起きます。アルコールの離脱症状はそれに比べればやや弱いとはいえ、AAが始まった頃の医療が発達していない時代には離脱症状による死がありました。一方、コカインなどの覚醒剤や大麻(マリファナ)には目立つ離脱症状がありません。

精神依存は、あへん系とコカインが極めて強く、アルコールと覚醒剤は強く、マリファナにも弱いながらもあります。

中毒についても、身体毒性と精神毒性に分けられます。

身体毒性の強いのはアルコール。内臓は言うまでもありませんが、先日は30代で大腿骨頭壊死になって手術した人の話を聞きました。

精神毒性とは精神に対する影響のこと。つまり脳への影響。覚醒剤やコカインやLSDで極めて強く、これらが法律で厳しく禁じられているのも精神毒性の強さゆえです。アルコールにもかなり強い毒性があります。

物質系のアディクションは、依存(身体・精神)・中毒(身体・精神)の四要素の組み合わせということになります。それぞれに対して個別の援助が必要になってきます。

前の雑記で書いたように、日本では慢性アルコール中毒症→アルコール依存症という病名の変更が起きたわけですが、依存という言葉が強調されることによって、中毒という要素が軽視される結果になったのではないでしょうか。長年の飲酒の影響は脳に深く刻まれ、断酒してもすぐには元に戻りません。回復には年単位の時間が必要です。なのに、その事実がしばしば軽んじられ、それによって最も損をしているのは当事者です。それは中毒という言葉を廃したゆえではないかと思います。

いずれにせよ依存という言葉を使う不都合が考慮され、アディクション(嗜癖)という言葉が復活し、病名すら変更されようとしています。歓迎すべきことだと思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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