心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年04月01日(金) ジョー・マキューの軌跡

ジョー・マキュー(Joseph Daniel McQuany, 1928-2007)は、アーカンソー州で初めてソーバーをつかんだ黒人だったそうです。1962年のアメリカ南部はまだ人種差別が激しく、白人男性のアルコホーリクのためにはいろいろ治療プログラムが用意されていましたが、黒人男性には劣悪な環境の州立病院しか用意されていませんでした(そして女性のアルコホーリクの選択肢は刑務所のみでした)。

解毒が済んだジョーはAAに参加します。しかし、黒人はまったく歓迎されなかったそうです。AAに参加するために必要な資格は「酒をやめたいという願望だけ」なので、誰も彼を追い出しはしませんでした。しかし、彼のAAスポンサーを引き受けてくれる白人は誰もいませんでした。それどころか、彼はミーティングで1年のバースディを祝うことさえ許されなかったのです。当時のAAでは、スピーカー・ミーティングと、ステップの経験を分かち合うステップ・ミーティングだけが行われ、今日のテーマ・ミーティングはまったくなかったそうです。

スポンサーを得ることができなかった彼は、誰からもステップを教えてもらうことができなかったため、仕方なくAAのビッグブックからステップのやり方を学びました。このことが、その後の彼のビッグブックへの関心を形作ったのだと思います。

10年後の1972年、彼は治療施設を始めます(名前は Serenity House)。その時彼に用意できた金額は$300しかなかったと伝わっています。

1973年(あるいは1975年か)に、ジョー・マキューはアラノンのコンベンションにスピーカーとして招かれ、同じくスピーカーとして招かれたチャーリー・Pと出会います。ジョーはチャーリーの名前だけを見て、有名な黒人歌手のチャーリー・プライドではないかと思ったそうですが、残念ながらチャーリー・Pは白人でした。ここで二人ともビッグブックに関心を持っていることが分かります。この共通の関心は、二人を親友関係へと発展させます。その後しばしば彼らは225マイルの距離を越えて会い、お互いのビッグブックへの理解を交換してプログラムを深めていきました。

二人はアーカンソー州やオクラホマ州で開かれるAAコンベンションの宿舎の部屋でも話を続けるのですが、やがて二人の話を聞きたいという人が増えていき、コンベンションのたびにこの非公式プログラムは人気を博していきます。そこに参加していたあるAAメンバーが、彼のホームグループで二人に話をしてくれないかと頼みます。それが4本のカセットテープに録音されて、「ビッグブック・スタディ」と名付けられて広まっていきます。

さらにこの年、1980年にオクラホマで開かれたAA国際コンベンションで、フロリダの熱心なビッグブック支持者 Westly P.がこのテープを100セット配布しました。これで二人の人気に火がつき、年に30回以上もの招待を受け、二人への評価が確立します。その後の20年ほどで、この二人はアメリカ全州、カナダのほか、ニュージーランド、オーストラリア、英国諸島各国、スイス、スエーデン、オランダで「ビッグブック・スタディ」を開催しました。

21世紀に入りパーキンソン病を患ったジョーは、この「スタディ」からリタイアし、もう一人のジョー(Joe McC)が後を継ぎます。新しいジョーはスタディの初期から参加していた経験あるメンバーだそうですが、悪いことにこのジョーも病に倒れてしまい、ここ数年「スタディ」は開催されていないと聞きました。しかし、過去に録音された音源は、カセットテープやCD、ネット上のMP3音源として入手可能です。チャーリーは80才を越えて健在だそうです。

この Joe & Charlie's Big Book Study の恩恵を受けた人は、20万人とも50万人とも言われます。

Big Book Study には有名な Hazelden も興味を示し、その内容を "A Program For You" という本にまとめて出版しています。しかしヘイゼルデンはJ&Cを改変しようとしたため、ジョーとチャーリーは本の出版にも同意したものの、この二人の名前は本のどこにも出てきません。とはいうものの、この本は大変良いもので、僕がステップの本の中で最も参考にした本です。みのわマックで "A Program For You" の日本語訳出版を準備しており、この秋には完成すると聞いています。出版されたら多くの人にお勧めしたい良書です。

さて、ジョーの作った施設の物語に移ります。彼が施設を作った1970年代前半は、アメリカ連邦政府がアディクションの治療に資金をつぎ込み始めた時期です。政府から「どのような治療プログラムを実施しているか」という問い合わせを受けたジョーは、「ビッグブックのやり方だ」と答えたところ、政府は彼にそれを文書化するように求めました。このようにして文書化・体系化された施設プログラムに対して「リカバリー・ダイナミクス」という名前が与えられました。

リカバリー・ダイナミクス(RD)が作られたのが1974年。ジョー・アンド・チャーリー(J&C)はその後ですから、RDはJ&Cに先行していることになります。

ジョーの施設は大きくなるたびに移転を繰り返し、名前を Serenity Park へと変えます。多くの人がそこを訪れるのは、ジョーが本を書いたからでも、有名なレクチャーをしたからでも、プログラムを考案したからでもなく、ただジョーがそこにいるからでした。

ジョーは2007年、45年のソブラエティとともに、79年の生涯を閉じました。彼の最後の夢は女性専用の滞在型RD施設を作ることであり、多くの寄付を集めてそれは実現しています。

現在RDは多くの施設で使われています。滞在型の依存症施設に限らず、カウンセリングルームや、ホームレスのシェルターでのアディクションケアなどのバリエーションを見せています。ただし、急速に広まった歪みもあり、そのライセンスはきっちりとした管理が行われるようになっています。

ここまで書いてきた話は、奈良市内の焼鳥屋で手羽先をかじりながら、ジョー・マキューの後継者であるラリー・ゲインズ氏から聞いた話をベースにしています。ラリーさんは27年のソブラエティをもち、どうやら以前はより報酬の高い施設で仕事をしていたようですが、現在はジョーの後継者として自らをなげうって仕事をされています。

日本で初めて二つの施設がRDの認証を取得しました。その一つは薬物の施設の奈良ダルクであり、もう一つは奈良ダルクに併設されるギャンブル依存症の施設「セレニティー・パーク・ジャパン(SPJ)」です。日本で初のRDの施設、しかも Serenity Park の名を冠した施設が、ギャンブルの施設だというところに、今の日本のトレンドを感じます。

SPJでは開設記念フォーラムを奈良(4/2土曜)と東京(4/3日曜)で開きます。
http://www.ieji.org/dilemma/2011/03/post-331.html
直前の案内で申し訳ありませんが、ジョー・マキューやRDに関心のある方は、ぜひラリー氏その他のみなさんの話に耳を傾けていただきたい。(僕は忙しくて行けません、ごめんなさい)。

また、この二つの施設以外にも、複数の施設がRDの採用を検討していると伝えられています。また秋以降に出版される "A Program For You" の訳書にも期待しています。アディクションという分野は、以前ほどの「目新しさ」はなくなったかもしれませんが、自助グループ・施設・医療の各分野で革新は続けられています。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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