心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年02月14日(月) 関東滞在三日間

金曜日は朝5時の高速バスで横浜のアディクションセミナーへ。
太平洋岸にも雪が降るというあいにくの天気にもかかわらず、会場は熱気で包まれていました。僕が数えた限りでは、参加者の数は400人を超えていたようです(500人という声もあり)。

誰か有名な先生が話すわけではなく、話し手は全員素人(自助グループなどの人)で、しかも有料のイベントです。それでこの人数を集めてしまうところが、このイベントのすごいところです。

久しぶりに顔を合わせる人、新しく知り合った人あり、挨拶をしたり打ち合わせをしたり忙しく、午前中はゆっくり大ホールで話を聞いている余裕はありませんでした。

午後は回復研の分科会の司会を努めました。スピーカーは女性のみ4人。みなさん回復のプログラムに対する真摯な姿勢をお持ちで、安心して聞いていることができました。質疑応答を20分でさばく。赤本・緑本の使い方について問題提起もありました。分科会の参加者は90人ほどだったそうです。

それが終わると大ホールに移動して、回復研メンバーとしてスピーカーを努めました(人材不足なのか?回復研)。順番は最後から二番目。いや、大トリのいっこ前という順番に重みはありません。大ホールでのスピーカーは午前中が主で、午後は分科会が始まるので皆さんそちらへ流れてしまいます。大ホールに残っていられたのは数十人ほどでした。

話を聞いてくださった方から「回復されてるんですね」と言われました。僕が回復しているかどうかよりも、他者の話の中に回復を感じ取れるようになったその人自身の中に回復があるのです。(逆を考えてみよう。「くだらねえ話ばっかりだぜ」と感じている人の中に回復はあるでしょうか)。

「AAメンバーはこういうところに来るとおとなしくなっちゃう人が多いですね」と言っていた人がいました。アル中には環境の変化に対応していくことが苦手な人が多いように感じています。だから、馴染んだAAという文化の中ならのびのびできても、いろんなグループの人が集まる異文化交流の場所に来ると、ちょっと縮こまっちゃうのかもしれません。でも、こうした場所に出てくるメンバーは、変化する環境(つまり社会)の中に出ていこうという前向きな気持ちを持っている人なのだと思います。

翌日は千葉の秋元病院に移動し、アディクション看護学会の研修会に自助グループのメンバーとして招かれて話をしました。「医療の治療構造と、自助グループの治療構造の間に存在する齟齬」について問題提起になる話をしてくれと言われていたので、与えられた10分で僕なり話をしたのですが、実はこの時間はAAの紹介をせねばならなかったのかも。でも、今さらアディクション看護の人たち相手にAAの紹介でもないか。断酒会の会長さんも、断酒会とは何かという話はされてなかったし。
ここでも、最近出来たHA(ひきこもり・アノニマス)がちょっと注目を集めていました。

後半のパネルでは「正直」がトピックになりました。回復には正直さが必要、それはそうなのですが、ここで断酒会の会長さんから

「断酒会員はうそつきばっかりですよ。例会でも正直な話をする人は一人もいません」

とトンデモ発言が飛び出しました。でもこれは慧眼です。断酒会に限らず、AAであれ他のグループであれ、正直な話ができている人などいません。みんな自分に都合の良い話をしているばかりです。

それは昔のことは酔っていたから憶えていない、というわけではなく、アディクションの強迫性によって嫌でも飲み続けざるを得なかったときに、自分を守るために築き上げた自己防衛の仕組みなのです(それがなければ人間は死んでしまうよ)。

けれどこの自己防衛は回復には邪魔です。だから、完全に正直にはなれないけれど、少しでもより正直になりたいという気持ちが、回復に向かうベクトルなのでしょう。そのためには、今の自分は正直ではない、という自覚が必要です。

断酒会の人がこのような意識が持てるのは、なんと言っても家族と一緒に参加する会で、(巻き込まれていても)本人とは違う家族からの視点があるからでしょう。

さらに翌日日曜日は、横浜に移動してワンデーポートの10周年イベントへ。施設長の中村さんの話によれば、最初はギャンブル乱用をもっぱらアディクションと捉えてアプローチしていたのだそうです。だから「退所後にGAに通わない回復があるとは夢にも思わなかった」そうです。すべてのギャンブル乱用を「ギャンブル依存症」としか捉えれば、当然そのようになります。

乱用の原因が依存症である人もいるのですが、発達障害が原因である人も、精神障害や知的障害が原因である人もいます。その人たち全員に、ミーティングだステップだという画一的なアディクションとしての対応をするのではなく、アセスメントの上で個別の対応を取るように変わっていけたのがワンデーポート成功の要因でしょう。

退所者の経験談でも、アディクションタイプの人と、発達障害タイプの人の両方の話がありました。

こうして考えると、ギャンブル乱用をすべて「ギャンブル依存症」と呼んでしまうのははばかられます。「ギャンブル乱用」あるいは「ギャンブル問題」という呼称のほうが好ましいのでしょう。

同じ構図は(ギャンブル依存だけでなく)アルコールや薬物にも当てはまります。おそらくはACや感情や摂食障害の問題にも当てはまるのだと思われます。

会場で最近知り合いになった人にに、「昨日おとといとアルコールや薬物の人の多いイベントにいたのですが、この会場のギャンブルの人たちは顔つきが違いますね」という話をしました。僕は、薬物(アルコールも含む)で内臓や脳がやられていないぶんだけ、ギャンブルの人の方が顔色が健康だ、という話をしたのですが、相手の答えは、

「だからこそ、発達障害の問題に気づけたのかも知れない」

というものでした。アルコールを含む薬物の脳や内臓へのダメージは大きく、断酒・断薬後も長年影響が残ります(僕もその例外ではない)。だから、発達障害的な言動が現れていたとしても「酒の影響」で片づけられてしまって、背後に存在する問題に気づけなかったのではないか、というものです。

ところで、なぜ施設の周年記念イベントに、音楽演奏や落語のプログラムが混じっているんだろう? と疑問に思っていたのですが、それは回復には趣味や生きがい、笑いが大事であるという施設長のコンセプトの反映だそうです。

おかげで20年ぶりに生の落語を聞きました(井戸の茶碗)。素人の話を金を払って聞き、玄人の話をタダで聞いた3日間でした。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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