心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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2010年01月23日(土) 発達障害について(その12)

やっと雑記の更新です。

読んだ雑誌に、(自閉症を含む)アスペルガーの幼児が、何かに自分の頭を繰り返し打ち付ける自傷行為をするのは、母親に甘えたいのに障害ゆえに甘えられない葛藤が原因ではないかと書かれていました。

母親と一緒に何かを喜ぶことをしない、そのくせ奇妙なこだわりを見せる。人を避け、目を見ず、だっこを要求せず、抱きしめようとすれば身をよじって嫌がる。母親にとってアスペルガーの子供は育てやすい子供ではありません。障害の特性が「しつけの失敗」と見なされると、それは母親へのプレッシャーとなり、子供の意思を無視した強制へと発展しかねません。
つまり、アスペルガーは子ども虐待の危険因子となります。

保育園・幼稚園では集団行動の枠が緩やかなためにトラブルにはなりにくいのですが、小学校に上がると、集団行動ができない、人の気持ちを読み取れない、という特性が、激しいいじめを招く原因ともなります。自分のこだわり(遊びのルールなど)を他の児童に押しつけて平然としているといった発端から、障害への無理解が重なっていじめへと発展していく、という例が示されていました。アスペルガー児の実に8割が深刻ないじめを経験していた、という調査もあります。

一方で、人の気持ちが読み取れないという特性は、いじめの意味を読み取れないことにもつながります。小学校低学年では、いじめを受けていても割と平然として我関せずの態度を取っています。

小学校高学年になるまでには(健常児に比べれば何年も遅いものの)「心の理論」を獲得し、他者の心理を把握することができるようになります。これによって社会的なルールに従えるようになるわけですが、健常児とは脳の違う部分を使ってこれを成し遂げます。いわば役者が他者を演じるように、社会的に期待される役割を理解してそれを「演じる」ことが可能になっていきます。

(しかし、従いたいと感じて従うわけでなく、期待される役割を演じるために生きることそのものが辛い体験に違いないと思います)。

これにより、ルールに従えないというトラブルは激減するものの、今度は他者との関係を非常に気にするようになります。その中にはいじめに対する態度も含まれ、それまでの超然とした態度から一変して、深刻に悩むようになります。ここへ、自閉症圏のフラッシュバック現象が重なり、過去に受けたいじめの体験によって、対人関係の不適合を起こしてしまいます。フラッシュバックが生じると、それを軽減されることは困難です。

他者からのどんな働きかけであれ(たとえ親切にされたのであっても)被害的に受け取ってしまい(被害的認知)、攻撃的な態度に出てしまう、となると対人関係を良好に転ずることが難しくなります。早めに診断を行い(学校に上がる前)、適切な療育をするとともに、周囲に障害のことを理解してもらうなどの環境調整が必要となります。ともかく、いじめからの保護が重要だとされる根拠です。

赤ん坊は、母親を目で追う、親から離れようとしない、去ろうとすると後追いする、という「愛着行動」を見せますが、自閉症圏の赤ん坊にはこの愛着の形成が遅れます。アスペルガー児では本格的な愛着の形成が小学校に入ってからになることも珍しくありません。
小学校のこの時期に遅れてやってきた幼児的な甘えが、うまく両親に受け止めてもらえればいいのですが、それがうまくいかなければ虐待を受けたのと同義になるわけです。

こうした虐待といじめの迫害体験によって、劣等感・無力感・疎外感を味わい続けていると、やがては体に症状が出る心身症や、うつ病・強迫神経症・統合失調症・各種依存症や人格障害といった「二次障害」へと発展していきます。仮にそうした病気にならなかったとしても、被害的かつ攻撃的な対人関係が固定してしまうと、社会への適合にも人間関係でもトラブルを抱えて生きていくことになります。

(休み休み続く)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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