心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2009年10月18日(日) 効力感

辛い体験をすれば、同じことは繰り返すまいと思うものです。

けれど、これは必ずしも真とは限りません。酒で失敗したアル中さんや、パチンコで有り金をすったギャンブラーは何を思うか? 「次はもっとうまくやろう」であって、酒やギャンブルをやめようとは思いません。

それは「苦しみが足りなからだ」という意見があります。

実際そうである場合も多いのですが、これも必ずしも真とは限りません。
厳罰化で飲酒運転は減りましたが、ゼロになったわけではありません。覚醒剤も同じです。失うものがどんなに大きくても、渇望に囚われた人は依存の対象を手放したがりません。共依存の奥さんがダンナの飲酒を手伝わなくなれば、飲み続ける苦しみは増していきます。けれどダンナは酒をやめません。

これは人が変化するためには、苦しみ(懲罰)だけでは不十分で、別のファクターが必要ということを示しています。「回復しないのは底付きが浅すぎるからだ」という理屈を振り回す人は、他のファクターに気づいていません。その人の説に従えば、極限まで行き着かなければ回復できないことになってしまいます。けれど、あまり失わないうちから真剣に回復を求める人もいます。それはなぜでしょう?

現状維持のデメリットがどんなに大きくても「自分は変われない」と思っている人の選択肢は一つしかありません(現状維持)。

酒をやめる気がなさそうなアル中さんでも、実は自分で何度か酒をやめよう(減らそう)と試した経験があるのが普通です。でもコントロール喪失がこの病気の特徴ですから、節酒や断酒に失敗します。すると、酒をやめられないことを体験から学んでしまいます。

問題があることは分かっている(飲み続けるのは辛い)、けれど変化もできない(酒をやめるのに失敗する)。この板挟みの状態を、人はどうやって打破しようとするか?

それが否認です。自分の酒は大したことがない、女房が大げさに騒いでいるだけだ、と思い直せば、(自分の中で)問題は消失します。問題がなければやめる必要もありません。こうしてディレンマは解消されます。

否認という防衛機制はいろんな形を取ります。
「自助グループに通っても仕方ない。どうせ飲むときは飲むんだから、最後は自分だよ」とか「自分は神を信じられない」とか、あるいは「ステップは酒をやめた後に人格を磨くためにするんだ」とか。

否認を打ち破るために必要なのは「効力感」です。それは「自分もやればできる」という感覚です。不信に陥っている人が効力感を得るのは簡単なことではありませんが、例えば実際に酒をやめている人の姿を見れば、自分にもやめられるという意識が芽生えます。

「真剣にやる気があれば、この友人のようになれるかもしれない。ぼくもなれるだろうか。もちろんだ!」(AA, p.19)

AAの創始者ビル・Wは、友人エビーの回復した姿を見て「自分もやればできる」という効力感を得ました。もしエビーが飲んだくれの残念な姿だったら、ビルも酒をやめようステップをやろうと思わなかったでしょう。

人の回復の手助けをするためには、まず自分が回復していなければならない。当たり前のことなのですが、そのことが分かっていない人も大勢自助グループにいます。回復していない奴に「底付きが足りない」と言われれば、お前にだけは言われたくないと思うでしょう。回復した人は人間的にすばらしい、とは言いませんが、必ず何らかの魅力を発揮しています。

奥さんが共依存行動をやめても、ダンナが酒をやめないのは、断酒会に行かないから、という理屈も分かってもらえたでしょうか。

とはいえ、否認にも至っていない(まだ自分の問題に気づいてもいない)人がいるのも確かで、もう少し苦しんでもらうしか無い場合も多々あります。苦しみと効力感がセットで揃わなければ、人は変わる準備が整わないのです。

11月7日のイベントに行く予定にしております。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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