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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年04月03日(火) 部分の否定と全体の否定 AAでのサービス活動で得た経験として、ひとつ大切なものを挙げるとするならば、「僕の意見が否定されたとしても、僕自身が否定されたわけではない」という、至極当たり前の感覚です。
AAでは議論はしないと言いますが、議論しないのは霊的(スピリチュアル)な事柄に関してのことです。確かに霊的なことは議論してみても始まりません。一人一人、霊的体験は違っているのが当たり前で、どれが正しいとは言えない(言わない)のですから、議論は無用です。
でも、現実的な決めごとをする必要はありますから、議論は必要です。グループ(集団)として我々はこれからどっちへ向かうべきか、という話もしなければいけません。で、そういう議論をすると、どうも議論が熱く燃え上がりがちです。僕自身がそうですが、まあサービス活動に参加するAAメンバーはたいてい「自分の意見に必要以上に執着しがち」なんです。
やはりその背後には、自分の意見を否定されること=自分自身を否定されること、という思いこみがあるのではないでしょうか。たかだかAAの委員会の方針決定ぐらいの話で、自分の意見が通らなかったからって、自分の存在が否定されるわけがないのですが、心の奥底にはそう感じる部分があるようです。
逆に、相手の意見を否定することが、相手を否定することにつながるのじゃないか、それは相手を傷つけるのじゃないか、という恐れもあります。挙げ句に、自分を傷つけるか、相手を傷つけるか、二者択一みたいな思考パターンに陥ってしまい、ある一線を踏み越えたら、議論に「勝つか負けるか」しか考えなくなったりします。
別の防衛方法もあって、自分の考えに賛同できない人たちに対して「くだらねー、バカばっかり」と評価を下して自分を守ったりします。あるいは、あいまいに濁すことで自分を守ったりします。
「部分(意見)の否定は、全体(その人)を否定するわけではない」という原則を身につけていないと、仕事でちょっと怒られたり、やなことがあっただけで、まるで自分の能力全体にダメ出しをされたかのように、落ち込んでみたり、傷ついて見たりします。そして陰気に恨んで見せたりします。
結局それもセルフ・エスティームの問題であるのですが、言うだけ・聞くだけの普段のミーティングでは経験できないこともあるということで。
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