心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年12月06日(火) 10 years ago (12) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (12) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

酒が切れると、言いようのない苦しさが体を襲い、酒が飲みたいという欲求が駆けめぐります。そんな状況の中、タクシーで駅まで行きました。新婚旅行に出発するためであります。
母と、妻の父母が駅前まで見送りに来てくれました。
僕は精一杯元気であるふりをしていましたが、心の中は近くのビールの自動販売機に駆け寄っていきたい気持ちで一杯でした。

駅の入り口へと歩いていく途中で、一人の老女が僕ら二人の前に現れました。彼女が差し出した紙には「カンパで全国を旅しています。どうかご協力をおねがいします」と書かれていました。どうやら耳が聞こえなくて、しゃべれないらしいのです。老女の差し出した箱に、僕は千円を入れようとしましたが、妻に止められてしました。
よく物語りに、旅たちにあたって老人が現れて旅の吉凶を占うという話があります。僕はこの老女が、この旅行の、いやこの結婚の行き先を占う運命の女神であるような、そんな幻想をもったのでした。だから、それを無視して前を通り過ぎてしまったのは、なんだか後々まで悔やまれるのでありました。

新宿まで移動する「あずさ」の中で、さらにそこから成田へ向かう「成田エクスプレス」の中で酒を飲んだのかどうか記憶にありません。ただ、僕はその中で寝ていますから、きっとビールでも飲んだのでしょう。前の晩は禁断症状で眠れませんでしたから、列車の中で眠っているということは、たぶん飲んでいるのです。

成田空港での長い待ち時間の後、夕方になって飛行機はオーストラリアのケアンズに向かって飛び立ちました。エアラインはカンタスというオーストラリアの会社です。日本人の乗務員はいるものの、数が少なく、主に英語が必要でした。

生まれてはじめて乗るジャンボジェット機のエコノミークラスは狭く、まるでケージに閉じ込められた鶏のような気分でした。その席で次の日の朝まですごさなければなりません。僕は早々に酔っ払って寝ることにしました。

機内食の配られる前も、後も、僕はキャビン・アテンダントにお酒のおかわりを要求し続けました。ビールのカン、ワインをコップで、ウィスキーの水割り。機内では「アポロ13」という映画をやっており、僕はまだ見ていないので楽しみにしていたのですが、酔いが回って筋が追えません。

やがて機内サービスも終わって、暗くなりました。寝るためなのでしょう。
だが、僕は酒が飲み足りなくてたまりませんでした。
しかたないので、カーテンのかげで座って休んでいるキャビン・アテンダントをみつけると、「ワインを一杯」要求しました。彼が冷蔵庫からワインのビンを取り出してくると、「一杯じゃ足りないから二杯くれ」と要求しました。

両手にワインの入ったプラスチックコップを持って、ご満悦で席に帰ってくる僕を、妻は「なんて恥ずかしいことをしているの! ほかにそんなことをするひとは誰もいないじゃないの」と言って責めました。しかし僕は、英語しか通じないアテンダント相手に2杯のワインを勝ち取ってきた喜びで「どうだすごいだろう」と自慢をして、まったくかみ合っていないのでした。

赤道上空では気流が荒いらしく、飛行機は大きく揺れて、目が覚めました。
もう一度眠ろうとするのですが、なかなか眠れません。うつらうつらとしているほかはありません。「ケアンズについたら、空港でビールを買って飲んでやろう」という意識だけがありました。

ケアンズの空港には早朝に到着しました。ここで国内線に乗り換えです。僕は国内線のコンコースを行ったり来たりして、ビールの自動販売機を探すのですが、どこにもありません。酒を自動販売機で売っている日本のほうが特殊なのだと知るのはもっと後のことであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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