心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年03月21日(日) 自分を裏切らない気持ちよい話し相手

往復とも3時間40分かかりました。新潟県内を走る快速電車の椅子は気持ちが良くて、とてもよく眠れました。文庫本を持っていったのですが、読みませんでした。文字を読むのが面倒になるのは良くない傾向かもしれません。でも、ポータブルビデオプレーヤーが欲しいなぁ。iPod のビデオ版みないな製品が出てくれると嬉しいです。MP3の音楽の代わりにDivXのビデオが見られるやつ・・・。

時々「2ちゃんねる」とか読んでいるのですが、長野県内の精神医療の話題の板とかもあって、今回のオープンスピーカーズミーティングの案内送付先を決めるのに参考にさせてもらいました。

でも読んでいて気になったのは、かなり多くの人が投薬治療だけでなくて、「じっくり話を聞いてくれるカウンセリング」を望んでいることなんです。そもそもカウンセリングを精神科医に求めるのは筋違いだろうと思うのですが、それは置いておきます。じっくり聞いてくれる医者もいるようなのですが、皆がしっくり来ないのは「自分の話に賛同してもらえないから」という理由なんじゃないのかと気になったのです。
自分の苦しさを訴えて、それを理解してもらえて、しかもその正当性を医者という「権威」に是認してもらえれば、「この苦しみも楽になるのじゃないか」という幻想を抱いているのじゃないのかな。もしそんなことをしてもらえても、それだけじゃ決して楽にはなれないでしょうに。

それに良い治療者というのは、その人が目を向けたがらない問題に対して陽を当てるものではないですか。問題の存在を認めてしまうと、今までと同じ生き方はできなくなってしまいますから、適切な助言ではなくて、「現状の是認」を求めるのじゃないかなぁ、と思ってしまったりするわけです。
というか、根本的な自己の是認ができないようならば、病気以前に家族機能の問題とかがあったりするのじゃないのか、と思ってしまうのは受け売りの思考かな。

まあ、人間は「話を最後まで聞いてもらいたい」動物であります。でもね、自分を裏切らない気持ちよい話し相手というのは、欧米では金持ちの老婦人が金を払って雇うぜいたく品なんですよ。たぶん。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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