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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年01月19日(月) 最低?の一日 今日はずっと椅子に座ってまじめに仕事するつもりでした。少なくとも朝はそのつもりだったのです。そしてそれは、ぜひそうする必要があったのです。ですが、10時過ぎにかかってきた電話によって、その予定はすっかり乱されることになります。
だいたい「社長を出せ!」という言葉を使う輩は、自分が無理を言っているのは百も承知、理屈では自分が負けることが判っているから理に訴えても無駄、情に訴えてもなおさら無駄です。僕は本来エンジニアという専門職のはずなのに、最近ではクレーム処理までやる始末です。年は取りたくないものです。
午後4時半に机に戻ってきたときには、すっかり元気がなくなっていました。仕事のトラブルというのはそういうものです。妻が作ってくれた弁当は冷たくなったまま鞄の中に残っています。今日はいつもより一時間早く起きて作っただけに、これを残して帰るとひときわ機嫌も悪かろうというものです。おまけにお腹がごろぴーで、三回もトイレに釘付けにされたのに、まだ痛みが治まりません。
唯一ラッキーだったのは、高速のパーキングの自動販売機でオロナミンCを買ったとき、150円のために百円玉ひとつと十円玉五つを入れたはずなのに、おつりが390円返ってきたことぐらいでしょうか。しかしそれも、十円玉と五百円玉を間違えるくらい疲れていただけだったのかもしれません。おまけに、それに気をよくしてナンバーズ3を買って散財してしまいました(ちなみにハズれました)。
一人きりの社内で、冷えた弁当に箸を入れていると、電話がなりました。もう午後7時を過ぎている上に、非通知でかけて来る電話にロクなものはないので、出ないでおきました。すると5分後にFAXが入り、その文面を見て、僕は急速に青ざめました。昨年末に残した仕事を、新年からすっかり忘れていたのです。
そして僕は足取りも重く、ミーティング場に向かったのです。そして一時間後、体は疲れていたものの、心は軽くなってそこを去りました。
夕方にアルコールが待っていてくれるからこそ耐えてきた日々が過去にありました。今は別の手段で、意思と命の痛みを癒すことができるようになった自分がいます。どんなに一日が悪かろうとも、もはやアルコールは必要ありません。
AAの仲間から明日肺がんの手術をするという連絡をもらいました。僕にできることは祈ることぐらいです。
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