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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年11月21日(金) 半端な個人主義者たち 誰にでもこんな議論を吹っかけているわけじゃないのですが、「日本のAAは半端な個人主義者の集まりになってしまっている」という話を時々しています。
AAのプログラムは「徹底した」個人主義を求めています。「AAは自由(な場所)である」という言葉がそれを象徴しています。AAほど個人の自由を認めているところはないでしょう。利己的であっても構わないのです。そうでありながら、私たちは懲罰という仕組みを持っていないし、必要ともしていません。なぜなら、皆が自分の利益ばかりを追求していけば、オンラインのコミューニティであれ、AAのグループであれ、簡単に崩壊してしまうからです。そして、私たちは一人だけでは回復することはできません。結果として、アルコールによる死が私たちを待っているのです。
自分の利害を追求することは、つきつめれば、AAというコミューニティの安定と成長を求めていくということに他ならないのです。個人の意義は社会の利益に優先するという個人主義と、全体の福利は個人の福利より優先するという「伝統一」の間には何の齟齬もないのです。
中途半端な個人主義の弊害は、実はAAにあまり関与しようとしないメンバーよりも、多くの時間(=金銭)をAAに費やしている人々によって起こされていることが多いのです(断定的)。より深くコミットすれば、集団の中でより大きな影響力を獲得しうるのはAAとて例外ではありません。そして彼らは、自分が大きな影響力を行使していることに自覚がない。いや、自覚はあるのかもしれない。あるのかもしれないが、その行使を「個人の自由」として正当化してしまっている。ソブラエティの長さや、サービス機構のなかの位置によって与えられた影響力が、自分の自由な意見や自由な行動を大きく制限することを認めようとしない。逆に、本来そうした影響力を行使しなければならないときには、いきなり偽りの謙虚さを発揮する。
なぜこうなってしまうのか? というような話をしていると、例えばマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をひいて、日本にはそもそも個人主義の土壌がないから、そこへAAのような仕組みを入れてもなかなか根付かないという話をする人もいます。ちなみに僕はウェーバーなんて読んだことはありませんが。
みんな、現状を愁てはいるのですが、どうしたらよいのか、という名案はないものです。
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