21世紀猫の手日記
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2024年01月06日(土) 仲良くなくても、理解は大事……

〇しばらく親に対する苦情が続きます

私は親との仲が悪かった。といっても、私が一方的にゴリゴリと傷つけられるかんじだった。私にも悪いところはあるが、それ以前に1mmも自分悪いところはないと思い込んでいる人たちといるのは苦痛だった。

高校一年生のころはすっかりキレていて、こいつらを殺すか家出するか、私が死ぬか……と思っていた。ストレスでかなりおかしくなっていた。頭は上がらない、背中は伸びない。頭痛、肩こり、胃痛。(今どこも痛くないのが素敵だと思う)でも、自死はまっさきに選択肢から外れる、自分特に悪いこと何にもしていない。

本を奪われ、自由を奪われ、もう自分でノートにお話しを描くぐらいしか自由が無かった。なぜ勉強が必要かとか、将来なりたいものは?とかそういう話が全くないまま、ひたすら家に閉じ込めて情報や物を制限するのは、今思い出しても極端すぎると思う。良い学校出たほうが、人生の選択肢は増えたでしょう。
けれど、当時の私はそういう「今」が苦痛すぎて、「未来」のことなど全く考えられなくなっていた。未来に希望がある話もされたことがない。だって日常生活で、何一つ楽しいことがないんですもの。ギャーギャー言われるのも何年も続くと、言われたほうもおかしくなる。どんなに言われても、ムリなこともある。その、自分の未来が考えられない状態は結構長く続いた。


……自分の価値観を育てるにしても、自分の人生を決めるにしても、保証人にならないなど色々と脅してきて、なかなかに足を引っ張ってくるのだ。仕事の進退とか、自分らも全然知らないくせに、強引に舵をとっていた。自分の人生は、自分の判断で決めるべきだ。逆らうのに疲れてしまって言いなりになると、何年も後悔したり恨んだりすることになる。何年どころか、自分の場合は人生ほぼやっちゃった感じがする。

機能不全家族の会で、自分のことを話したら、泣いた人がいた。自分の話を全く聞いてもらえなくて困っている人は多いのだろう。


距離を置く、という対処法がある。それで負担が軽くなるならやったほうがいい。
私は家を出たって母親がやってきた。元気づけるような何かはなく、たいてい私をボコボコにへこませて帰っていった。合鍵は3件目からは渡さなかった。入ってくるから。何しろ、夜勤をしている人間は昼間も寝ない、昼寝る人は怠け者でおかしい!と両親ともに思い込んでいた。高学歴なのに、昼間の公務員仕事以外は人じゃないと思っていたので、おそらくそういう見解だったのだろう。
一般的には心配だったんじゃない?で済む話だけれど、彼女と会うと私は際限なく気持ちが沈んだ。私の話は全く聞き入れてもらえないからだ。夜勤しているので、明けの今は眠いが通じない。ある意味、宗教の勧誘の人が来ているのと大して変わらなかった。ここまで話が通じないのは謎だ。

肉体的な暴力が無くても、過干渉だったり言葉の暴力……死ねとか直接的なものじゃなく、暗に自分たちの思うようにひたすらコントロールしたい系の人たちも、される方からしたらたまったものではない。嫌だと断っても、全身全霊でおしつけてくる。その強さはなんなのだ?そんなに自分は正しいのか?ついでに言うと選挙もそれで、共産党を押し付けてきた。

んー……共産党に関しては、母の力の入れ方が新興宗教に入った人と同じような感じだった。最終的には、世界平和になって、日本から貧乏や苦労や不平等が無くなるのかもしれない。ただ、母に投票や、機関紙をとれとか言われて私の心の平和は失われた。自分の信条ではないものが、家に投函されるのが苦痛だった。触るのも嫌でゴミ箱に直行させていた。嫌だと言っても、お金は母が払い、私の住所に来るのだ。それもなかなか嫌だ。部数をあげたいのだろう。

話が通じない。両親ははなっから私の話や意見などを聞く気が無かったのだろう。ここ太字で書きたいですが、親……悪気はないんですよ。「あなたたちのしていることが苦痛ですからやめてください」といっても わからないんです。「私の人生ですから私が決めます」も通じない。うちは全く修正不可でした。あああーーーー。

おかげで、両親が同時期に死んでほっとした。悪いけど、心の重荷がちょっとだけ楽になった。もう、これ以上命令されないんだと。嫌なことを言われたり、ハガキに書いてきたりしないんだと。

私が失敗したのは、住所とか両親に知らせてたことだろう。住むところの保証人になってもらってたからだ。30年位、仕事も職場も知らせず失踪状態にしておけば、自分の価値観をきちんと育てることができたと思う。

何年も嫌な思いをせずに済んだと思う。すごく無駄な涙を沢山流した。憎んだり恨んだりせずに済んだだろう。今思うと良く生き延びたと思う。失踪できなかったのは、ハードな共依存だったからじゃないかと思う。もしくは、一人っ子なので責任を感じていたからだ。


あまり関係ないが、墓の件とか菩提寺の件とか、弱った父のもやった頭の判断でちょっとエライことになってしまっている。正直、死後も怒る羽目になるとは思わなかった。
先祖代々の供養帳が、欲しがったよその家にいっていたりしてどうにもならん。(私が直系だ)うーん、あの本、多分なんか霊障的ななんかあると思う。死人の名前が書いてあるだけだけど。そしたら叔母が自宅に持ち帰ったそうで。……。いいけど、きちんと供養しないところが持って行ってどうする(←後で判明)。その後、何もなかったわけではないが、叔母がうちの墓石や供養帳だとかいらんところに手をだしたせいかもしれない。ちがうかもしれないが。


えー延々と愚痴がつづきました。今日のポイントは、両親への怒りは捨てようと努力しないと死後も続くという話です。あと、頭いいはずなのに、全く話が通じないということもある。

怒っている自分が嫌だから、やめようと思いますが、ムリして怒りを納めなくてもいいんだろうとおもいます。奇麗な言葉で言うと、許してあげなよと自分でも思う。けど、ダメージでかいので、「怒るのやめよう→いやぁ、やっぱり腹が立つ」の繰り返しです。それでも、怒りが減ってたらいいなとおもっています。
あとあとに続く墓石の件は勘弁してくれと思ってるけど(面倒なことになっている)。


で…、ここから先は母親と仲が絶望的に悪い自分の友達に向けた感じになる。この日記を読むかどうかはわからない。友達は、私のように母が来るのが嫌なので、家族に住所を教えていない。

母親が死んでも、多分、恨みとか怒りはなかなか消えないと思う。怒るのやめようとか、許すとか結構時間がかかると思う。怒りを思い出すととその時の自分に戻ってるからやめようって思うようになったの、死んでから一年半くらいたってからだもんなぁ。

ただ、救いはお父さんいい人だからね。両親がともに攻撃してこないだけいいと思うな。うちは病気の件とか、あとあと父はえらい勢いで責めてきましたからね。その場で私が泣くくらい。ヤフーに相談されているようなことは全部されていますな。

君のほうが、自分が確立できていてずっとしっかりしていて、立派だと思う。なんか、怒っている期間てトータルでいうと無駄かもしれない。人にそういうことをしないようにしようと思うようにはなるけど。自分の気分的にはめちゃマイナスだよね。お互い、嫌な気持ちに引っ張られないようにしようね。

私なんかなー、何がしたいか、何が好きで何が嫌とか、今考えてる(苦笑)
基本がネガティブだったから、そういう隙を突かれて暴力にあうのかもな。誰とも話したくない、関わりたくない……ではなくて、本当はみんなと話したい、ニコニコしていたい、なんだよね。嫌な気持ちが長いとやっぱり良くないと思うな。


えぇ?父どんな人って、じいちゃんに近いw。じいちゃんレベルとは一緒にいたばあちゃんが、定期的に胃潰瘍で入院するレベルのストレスを与える系かな。靴下一つタンスからださない。何もしない。
生活も、最初は自分で全く何もしないつもりだったので、母が倒れて私が父の女中をしなかったので、基本的にかなりお怒りだった。あの時点で生活をで手伝ったら、洗濯も風呂のお湯入れもしなかったろう。

そのころの私は貧乏で休みもなく、病気持ちで動けないのが奇跡的に正解だったのだ。休みが多かったり、お金があって、父を手伝っていたら、一生自立せずに威張っていただろうと思われる。……そういうのが、本人はふつうだから、私にひどいことをいってもあたりまえだったんだろうと、今は思う。母が倒れてからの父の言動はなかなかひどかった。日記に書けないレベルのことも多々あった。


zaza9013

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