21世紀猫の手日記
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| 2021年08月28日(土) |
父の言葉に傷つく理由。 |
というわけで、知床旅情って歌を聴きながら泣くという謎行動な今日でした。
クリントイーストウッドの映画、クライマッチョの予告編を見て泣く。
なんで知床旅情なのかっていうと、午後の音楽療法(OTの先生がキーボードで昔の歌を弾いてみんなで歌う:いわば生演奏カラオケ:マスクはしているが、このコロナのご時世に何やってんだと突っ込まれるとかえすことばもないっちゃない:大きな輪になって4mくらいはあけてはいるんだが)で、古い歌ばかりやっているので、覚えてしまったのだ。
役に立たない私は、もう、ほぼ音楽療法に参加してるんだよな。役に立たないから音楽療法なのか、とりあえず見ておいてポジションなので、この係なのかは不明なんだが、まぁ、なんかそういう役回りなのだ。
最近家でどんな曲きいてたかっていうと、ブルースブラザースのスイートホームシカゴとか、 ♪なにもーかもーすててーくよー、つれてーってつれてーって(車のCM曲のふわりだかきらりだか)、曲じゃないけどアナトリアカフェというアラビアっぽいテクノのチャンネルが気に入っていた。あ、あとアニメのボトムズの曲、”鉄のララバイ”謎リピートしていた。もうちょっと爽やかなのを聞けと思う。
で、音楽療法、結構歌うんだよ。♪あの子はいつも歌っているとか、(タイトルわすれた←いつでも夢を) 津軽海峡冬景色とか、お祭りマンボとか、高原列車はいく、とか昭和の歌ばかり連日だ。家へ帰ってから、youtubeで、原曲はどうなのかと聞いてみたりすることもある。
いいうたもある、私の好きな♪いつものように幕が開き(ちあきなおみの喝采)とかなぁ。その、泣ける歌も多いので困る。アカシアの雨が止む時、という歌がある。西田佐知子だ。(知らなかった) もう、死んじゃったらなんかおもってくれよというかまってちゃん系のないようだが、当時ならそういうニュアンスではなく、”あの人”に問題があるようなんだが、……それはさておき、心がつらい状態の人間には辛い歌詞なのだ。 長崎は今日も雨だったですら、つらい時があるのだ。
で、なんか微妙に動揺しやすい感じになる。あの昭和歌謡は。
母の死亡を宣告されてからは、歌の時間にこっそり涙を流しティッシュでふいていた。父のあと2ー3か月を聞いてからもそうだ。
入院した父は手のひらを返したようにいい人になって、私を傷付けるようなことは言わなくなった。
ありがとうございます、感謝しますと皆に手を合わせている。思考力が落ちちゃってそうなっているのか、ほんとにすべてに感謝する気持ちになったのかは…わからない。反仏教キャンペーン中のはずだが、母親の葬儀の写真(スマホでケースワーカー経由で見た)に戒名書いたアレがあるのにノー突っ込みなところが怖い。葬式はそういうもんだとなっとくしているのか、坊さん呼んだの気が付かないのか。思考力がおちてワヤワヤなのだろうか?
坊さんを呼んで葬儀を行ったので、ビクビクしていた私はいったいなんなんだ。葬儀はいらんて父は言ってたけど、生きている人の気持ち的に区切りがつかないのと、戒名もないのは良くないとおもったので私が知っている真言宗のお寺さんを頼んだのだ。このビクビクいらんかった?
ずーっと介護の仕事をしてきた友達に、久々に電話した。
ここ数年、特に母がたおれてからどうも言葉がきつい。倒れる前はほぼ無視に近かった。悲しくて当たる人が私しかいなかったからなのだろうか?それとも、心の底から私を軽蔑しきっていたのか?と思っていた。 (考えすぎかもしれないけれど、あった後数か月泣くダメージを食らっていたのは事実なのでなんともなぁ…)
父の言葉がきつすぎて、とてもつらかったのだが、いま手のひらを返したようにいい人になっている、よほど混乱しているのか、死が近くて脳が緩くなってきているのだろうか?どう思うと聞いた。
適切な言葉を選べなくなっていたんじゃないのか?それって、〇〇の父もそうで言葉がひどくて、〇〇困ってたじゃん。という回答をいただいた。
ああ、そういう老化のでかたもあるよな。(デイケアで来る方々は比較的紳士淑女が多いので、あんまひどいことは…言わない。言葉の暴力レベルが高い人は、特にそれが職員じゃなくほかのご利用者様に言っちゃうような人は出入り禁止になってしまうのだ)身内だとピンとこなかった。
そうか、ものすごく嫌がられていたわけじゃなかったのか。最悪の言葉が次々と出てくるのですごくつらかったんだけど……。老化か……。そうか。おもいつかなかったな。
うーん……。大した理由もなく、私たちは傷つけあっていたのではないのか? 適切な言葉が出ない父親に、無茶無茶傷つけられる娘。だから、よりつかない。よりつかないので、ほかの親せきと仲良くする。それはそれで疎外感だよな。私、▽▽の親せきとは仲良くするなって言われてましたから、…そんないうことを聞く義務ってなかったのかもしれない。 父から見たら、なんでかしらないけど、自分が年を取ったら急に娘が冷たくなった、いじわるだくらいに思っていたのかもしれない。
母の葬式で▽▽側の親せきとライン友達になったんだよなー。めちゃめちゃ、気後れしたりわだかまりもっているのが、私だけ。向こうは普通でしたねぇ。
母が亡くなったのも悲しいが、そういう愚かな行いをしていた自分も悲しい。 バカじゃないかとおもう。しかし、苦しかったのでしかたがない。 母が死んで悲しいどころではない、人生やり直したいと思っている。
zaza9013
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