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■ 「地下鉄サリン事件」に思う
今日は早めに仕事が終わったので9時過ぎに家に到着。 TVをつけると1995年の「地下鉄サリン事件」に関するドラマを放送してい た。事件当日の状況が時間の流れに沿って再現されていた。
あの団体の活動や教義内容についてはいろいろ思うところがあるけれど、この事 件そのものには別の思いがある。
あの日、私と母はあの現場にいたかもしれないからだ。
事件に巻き込まれていたかもしれない。小さい偶然から私達は難を逃れた。
私は学校の春休みでこの日は都内にある義眼屋にいくつもりだった。前々からこ の日に行こうと決めていて朝の早い時間、9時前には義眼屋へ到着するつもり だったのだ。その為に出掛ける支度もしていたのに、家を出る直前でバタバタと した用事が出来て結局出掛けるのを翌日にしてしまった。(田舎住まいなので出 掛けるタイミングを逃すと面倒になってしまうのだ) 祖母と一緒にTVを見ていたらニュース速報。
どうやら都内の地下鉄で事故が起きたらしい。それも同時に何ケ所も。
「ありゃ、今日は出かけなくて良かったねぇ」なんて暢気に話していたが、その 後次々と入ってくる続報に「出かけなくて良かった」どころではなかったことを 思い知らされる。義眼屋の場所は丸の内線沿線。私の家からでは途中の乗り換え までは日比谷線か千代田線を使わなくてはならなかった。 もしも予定通りに出掛けていたら時間的には駅の混乱の中にいただろう。
母は丸の内のオフィスビルにある診療所に20年近く勤めていた。が、この年の 2月一杯で退職して家にいた。毎日に使っていたのは日比谷線。事件が起こった 時間には丁度築地あたりを通っていたはずだった。
この日は都内の主な病院や医療関係施設は事件に遭遇した人々の収容と治療で大 騒ぎだったらしい。夜になって母の知人の看護婦さんや女医さんから何本も電話 がかかってきていた。 母に言わせると築地にある聖路加病院が改築直後だったおかげであれだけの被害 で済んだのではないか、ということだった。 新築の病院内は待ち合い室や廊下などのエリアでも救急治療が行えるように酸素 などの専用パイプが張り巡らされ、まさに緊急時に大量の患者を治療する為の設 備が整えられたばかりだったのだ。 その後何度もワイドショーなどで見る事になる築地駅前の道路を封鎖してテント がいくつも張られた風景。 あの中に母もいたかもしれない。
ドラマではその後の警察の捜査や逮捕までを放送していたが、事件の実行犯たち の当日の心の動きをもう少し掘り下げることは出来なかったのか?と思った。 供述調書などの記載そのままの事実、それを再現するしかないのは判る。 実際に彼等はそれ以上の感情なぞ話はしていないのだろうから。 中立の立場で報道する、という理由もあるのだろう。
宗教や信仰は人の心を支える、変化させる。 それはプラスの面も多いがマイナス面も強い。 隣の芝生が青く見えなくなるのは良い事かもしれないが、全ての庭の芝生を自分 の家と同じにしようと思ってしまうのはどうなのだろう。 それも自分の意志ではなく、「お父さん」がそうすれば良いよと言ったから、と いう理由で。
あの当時通勤や通学に都内の地下鉄を利用していた人たちは皆この事件に背筋が 凍る思いをしたと思う。こんな事件を起こしてまで彼等が信じていたモノを考え るとあまりの馬鹿馬鹿しさに涙が出た。 実際の被害者は5000人を超える。 そして、未だに後遺症に苦しんでいる人も多い。
2004年02月24日(火)
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