Silent Song
DiaryINDEXpastwill


2005年11月16日(水) 障害があるならお腹の中にいるうちに、殺して欲しかった…。



-----------------------------------------
・・・・もし、

お母さんが私を妊娠中に、

検査で、お腹の子(私)が障害をもってると

わかったなら、

障害児として、生まれる前に

殺して欲しかった・・・。

------------------------------------------


大半の人は、五体満足で生まれてる。

目が見えることも、

耳が聞こえることも、

歩けることも、

走れることも、

運動することも、

立って何か作業することも、

「当たり前」だと思って、

そのことを「幸せなこと・恵まれたこと」だとは知らずに、

さらに「上」を見上げてる。


・・・・・。


・・私は、

「悲劇のヒロイン」ぶるつもりは、

さらさらないし、

そういう風に自分がなるのは、

はっきりいって嫌なんだけど、

正直、「悲劇のヒロイン」にならなきゃ、
やってられない。。。


私は小学3年の足の手術、入院から、
母の方針?で、もう病院にいって、
足を診てもらうことは、この20年以上なかった。

何も知らない私は、
中学に入ったら、スパルタな体育教師に
無理矢理、医者に禁じられてた体育に
参加させられ、

その後も、
他の人と同じように(…といっても
長時間歩くと痛みが出るから、
短距離での話だけれども…)
歩いたり、走ったり、バタバタ動き回る
仕事をしたり、してきた。。。

・・・そのツケかな?

自分の足が、
もうかなり磨耗してる事実を、

…そして「未来」をも、

レントゲン写真が私に”現実”を、突きつけた。


医者からは、
「痛みを伴う左足をかばってきたために、
右足の股関節を覆う”カサ”が
健康な人の3分の1くらに磨り減っている。
このままでは、いずれ右足も痛みが出てくる。
右足をなるべくもたせるために、
右足を保護するように杖を利用したほうがいい」



…といわれた。

既に、変形性股関節症になり、
骨盤も完全にゆがみ、形成不全を伴い
日常生活さえ痛みを伴う左足を
カバーするために杖をつくんじゃない。

痛い左足の痛みを和らげて歩くため
杖が必要かと思ってた。


でも違うんだね。。。


もうそんなレベルじゃないんだ。

痛い左足はそのまま耐えて、
もう片方の、左足を支える足が磨り減るのを
できるだけ伸ばさすため
に、杖が必要なんだ…。


普通に歩くのも…ダメだったんだ…。

足の寿命を縮めるから・・・。

あの時やったテニスも、
本当はやっちゃいけなかったんだよね…。

いい気分転換だった
ウインドウショッピングも、

本屋での立ち読みも、

頑張って、痛みを我慢して観光したり、

歩いたことも…、

全て、全て、

私の足の使える時間を
削っていったんだね・・・・。


じゃぁ、

私は何にチャレンジすればいいの?


歩くことも控えなきゃいけない、

スポーツもできない、

足を使う仕事もできない、

長距離も歩けない、

もちろん旅行だっていけない。

・・・・・・。

そんなんで、
どうして、「自分で何でもできるように」
なれるの…??

たとえ足を温存しても、
足の寿命が擦り切れた、
将来は両足痛んで歩くこともできなくなって、
車椅子?

…もう笑っちゃうね。

私は変に、負けず嫌いだから、

なるべく人の力は頼りたくなくて、

依存したくなくて、

これからは「一人でなんでもできるように
なりたい」って思ってた。


少しずつでもいい…、
「自立」したくて・・・。

そのために、
いろんなことにチャレンジしようって
思ってた。

・・その矢先に突きつけられた
「現実」がコレ・・・。


メンタルの調子も故障してるのに、
身体も故障なんて・・・、

本当バカみたい。

連れとは別れようかな。。。

こんな身体障害を抱えた私、

この先、お荷物でしかならない私なんて、

彼にとって負担にしかならないもの…。



        中途半端な”障害者”。



↑エンピツ投票ボタン
My追加

静花 |HomePage