あごあごしい日々 

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 +花は 花は 花は咲く+

F1のサイトを閉める前に。
先日、仙台にまでフィギュアスケートの
NHK杯を見に行った話でもしようかと思います。

2011.3.11――――

幸いにして、私の住む関東のあたりは
震度5弱から5強というエリアに属しておりまして。
停電こそはしたけれども、何もかもが無事な北限に近い
ここから少し北に行くと死傷者が出始めると云う
平和な位置に属しておりまして。

内陸地だから、ガソリンの供給は途絶えて
地元の車は自由には動けなくなったのだけれども。

北に行けば、福島・宮城・岩手。
動脈の国道も通じて、大動脈の高速も通じて
迂回出来る高速ルートも生き残ってて。
東西を走る道は、茨城の被災地に通じている。
そんなルートになっていたのです。

だから毎日、見た事も無い県外ナンバーの
関東も関西も東海も、みんな大挙して
ガス会社も電気会社も土建屋さんもお医者さんも
消防車も自衛隊も、そして水や燃料を運ぶ車が
私の町を隊列を組んで通り過ぎるのを見ていました。

この事が、私の東日本大震災に於ける
強烈な原体験になっていまして、ね。

これだけの車両が大挙して被災地に繋がる道がある。
彼らは人の命を救うため、命を繋ぐために居る。

この大群の、向かう車。人々。
ホンダとGoogleが作ったも被災地の
道路MAPが、日に日に繋がっていく様子。

この事に気がついてから

「道路族議員」とか「利権がー」とか
「自民党や小沢の土建屋との癒着がー」とか
「ガソリン税とか二重課税がー」とかな。
この日本の全ての病巣で悪の枢軸的に言われてた物でも
その一端は人の命を救うための血脈になってたのだと

一辺倒の「公共事業は悪」的な言い種に
大変な疑問と薄っぺらさを感じるようになっていて。

まあ、そんな事を踏まえましてね(;´Д`)

今回、仙台まで
人を助けるためにと馳せ参じていた
あの車達と同じ東北道を北上して。

痛んでパッチ当てられたように継ぎ接ぎの道。
凸凹のままで放置?されてる仙台の道とか
ホテルの窓から見える、津波でなぎ払われた平地とか。

それより、なにより。
当時はご遺体の安置所だった
セキスイハイム・スーパーアリーナを
来て、見て、触れられたことは良かったと思いました。

仙台はまだ、色々と傷跡と
記憶が残る「被災地」でもありますから、さ。

私は宗教家でもなく
そんな信仰が深いタイプでも無いのですが。

今回のNHK杯が「ご遺体の安置所だった
セキスイハイム・スーパーアリーナ」に決まった際
「何が何でも行かねばならぬ」と、思ったのさ。

ミハエルの引退レースになるかも知れなかった
ブラジルGPと日程がかち合っててもだ。
(スケートチケの発売時は引退決まってなかったしな!)

私の曖昧な宗教観だと
「震災やお亡くなりになること」=「穢れ」だとすれば
「禊ぎ」や「祓い」の作法や手順は解らなくても
NHK杯のスケートを楽しみ、笑顔になると言う事は
「ケガレ」に対する「ハレ」であり

「鎮魂」

なのだと、思ったので。

そしてNHK杯の進行自体も
幕間に流れる「花は咲く」の歌も
地元のちびっ子スケーターの演技も。

優しさと慈しみ溢れる「鎮魂」だったと思いました。

そう考えると、地元出身で
この建物が当時何に使われていたのかを
肌で感じて知って居るであろう
羽生君のエキシビションナンバーとか、ね。
理由が見える様な気もするよね。

良かった。仙台に行けて良かったなぁ。
今は心からそう感じています。

でまあ、そんな事を心の片隅で思いつつ
【アゴヲタばかりの珍道中】でありましたのでw

散々ミハエルも語り、笑い
美味しい物食べたり頂いたりしてだなw
バカ騒ぎ的なアホも満喫してきたのですよっと。

しんみりしてるだけが復興じゃ無いってのは
「被災地に住んでない私だから」言えちゃう
ぶしつけで押しつけがましい事なのかも
知れませんけどさ(;´Д`)

楽しかったので、またいつか行きたいです。
仙台というか、東北のあちらの方。

まーそれには
身体治さなきゃ始まらないんだけどさ…。

去年お泊まりが出来たのが
鈴鹿と、宇都宮ジャパンカップだけで。

今年お泊まりが出来たのが
鈴鹿と、仙台NHK杯だけだもんなぁ。

F1が無かったら
かなりキワドイ病人生活ですよなぁ…
マジで(;´Д`)



2012年11月27日(火)
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