月の夜のつぶやき

2014年01月07日(火) 結局・・・

メインのブログに書けないことを
こんな風にしてここに綴り続けてしまう。
こんな文章、人目に晒すべきなのか?と
疑問を抱えつつも、書いてしまう。
誰にも話せないから、かな・・・

某所の悩み相談に考えさせられる。
結納とは、そのお金で娘を買った、ということらしい。
歴史的にはそうなのかな。
たしかに、祖母の実家の話を聞くと、
怒りが込み上げるほどに昔はひどかったみたいだ。
労働力としての「嫁」。
川で洗濯していて骨折したら、
使えない娘で申し訳ない、とその母親がしばらく滞在して
家事の労働を請け負ったという。

私の親も結納を嫌がった。
人身売買みたいだからしたくない、と。
結納をしないことで両家納得したはずなのに、
どうしても義父がお金を払いたいと言い続け、
私の両親は頑として受付ずを貫き、
はさまれた夫は困ったと思う。
新生活資金ということで、ようやく落ち着いたのだった。
でも、名前は「袴料」だったようで
意味合いは完全に生活準備資金ではなかったようだ。

実の娘のように大事にします、という言葉は
どうやら世間的には信じてはいけないことらしい。
純粋に外交辞令に過ぎない、と。
不運かな、わが父方の祖父はそれに実を伴わせた人だった。
そんな祖父を持つ私、そんな義父を持った母、
そんな父親を見た私の父。
その言葉を「ありがたい」と思っていた。

大事にしてくれないことはないけれど、
扱いはやはり古い感じのままで
行けば家事労働力としての役目を期待されている。

某所では、それは実子である息子の役目。
嫁だから、ではなくて息子の妻として
客人待遇であってしかるべきと言う人もいる。
それは極論かな、と思うところもあるけれど、
やはり私の親が私を気遣ってくれるように、
義父母が私を思いやってくれるような扱いはない。
母の「いつも休めないんだから、楽しなよ」という言葉。
やはり嬉しい。
かといって、「ありがとう、じゃあ、怠けさせれもらうね」
と寝ているわけでもなくて、一緒に何かしらしているけれど。

嫁を使えよ、という内容を義母に言う義父には
やはり旧態然としたものを感じるし、
所詮、それほどのものなんだね、とひがんでしまう。
きっと、実の娘なら違うだろうからね。
現に、息子には休め休め、と言っているから。

これって、やはり世代の違いなのかな。
地域性もあるのかな。
義母の、嫁たちに片付けは丸投げでいいや、
という態度も悲しくなる。
本音はやはりそれなんだね、と。
最初の頃は偽っていたんだね、と。

結局、かなしいんだよね。
いつか変わるのかな。
いつか、私の先生みたいに
どんなことがあっても

ありがとう
元気でいてね

という思いだけを送ることができるだろうか。

全ては自分の内面で起きることという。
この黒い感情も、外からどんな刺激が加わろうとも、
自分次第では生じることがないという。
そうありたい。
そうなりたい。
平和でありたい。
でも、今はまだ悲しみの中だ。


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