小学校英語教科必須について考えること


 過去 : 未来 : メール 2006年09月28日(木)


現場が大臣が変わるたびに振り回されている。

ま、児童、生徒にとって良い方向に向かえばいいんだけど、答えは一つじゃないわけで、その人の考え方一つでいろいろ変わる。

何がどう決まってもそれを受け止めて動くのが現場。


小学校の英語必須は以前から言われていた。

だから英語教材のセールストークは



「お母さん、小学校で英語が必須になるのをご存知ですか?」



そんなトークに乗せられて、自分が中学、高校で苦労したわりには使えない自分の英語力をコンプレックスとし、我が子が自分と同じにならないように期待をかけ何十万もする教材を買う親もいる。


それは「小学校で必須だから」と言うよりも「早めにやったほうがいい?」という気持ちからかもしれない。


実際今の小学校でやる英語活動は歌やゲームが盛りだくさんで勉強というよりも「英語を使った交流」といった感じで、テストだって実施されない。

もちろん評価もない。


よってそのために塾に通う必要は全くないと私は考える。


よく「英語を習わせたいんだけど」って相談をうける。
そのたびに「お金がかかるのはやめた方が良いと思う」とこたえている。




ところで、現状の小学校の英語教育「身近に感じること」。
そんなんが何の役に立つのか?とも言われる。



でも実際、小学生の方が中学生の方が英語に対する興味関心は高いし、英語嫌いもほとんどいない。

それはずばり「テストがないから」。
ということもあるのかも。







私は小学校で英語をやることは良いことだと思う。
それが日本語教育の弊害になっているとは考えにくい。
英語教育の中には「国際教育」なんてのもあって、文化の違いに気付いたりすることもある。
「外を知って中を知る」みたいに、日本の文化を改めて考える良い機会だと思うのだ。



また会話力にしても何をやっても大きな声で精一杯やるので、発音はとてもいいし吸収が早い。

以前いた勤めていた小学校では1年生から6年生まで全員が笑顔で自信をもって「It's a small world.(小さな世界)」を歌った。




初めこれをやろうと提案したときは何人かの先生から反対を受けた。

「できるわけがない。」

「私だって歌えない。」

それが反対する先生たちの意見だった。

でも先生を募って音楽室でモデルテープを作った。


最初はゆっくり、ゆっくり歌った。
そのうち

「早くないと歌いにくい」

と言い出し、ノーマルスピードに。

だれかが

「できたわ。」

と言った。

反対していた先生も何だか歌えるようになって嬉しそうだった。


それから全校にその歌を広めるにはさほど時間がかからなかった。



今でも小学校の英語教育に反対する先生はたくさんいる。
専門外だから負担だとか、そんなことをしなければなならないのなら仕事をやめるとか・・・


私もできないから一緒にやろうよ。。。っていうスタンスでもいいと思う。


「間違えちゃだめだ」っていう教える方の考えがあるからそれが伝わり、間違いを恐れて話さない児童がいるのだと思う。


その間違いの限度もあるだろうが、どの先生もとりあえず中学、高校、大学と英語をなめてきたはずだ。

「できない、できない」と自分のプライドのためにやろうとしない先生が、小学校の英語教育導入の門を狭めているのだと思う。








ただ




週休完全二日制になって授業時数は減るのにどんどんやらなければならないことが増えるのも子ども達にとって負担だ。

余裕のない学校生活。

学校でも家庭でも忙しい子ども達。

ミホやカホの通っている学校も今年からマラソン大会がなくなった。

何を優先するのか。

それが問題だ。










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