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■ どくしょのはる?
文庫本 色々買っちゃった。
普段買わないよーなのまで・・・。
PHP文庫だから いい本と思うけど、
タイトル書くの恥ずかしいぞ〜(^^;) 「「ひと言」で相手の心をつかむ恋愛術」(ゆうきゆう著)
「僕が君に魅かれる理由」(中谷彰宏)
「なぜ彼女にオーラを感じるのか」(中谷彰宏)
「家族が幸せになる心理学」(加藤諦三)
あと、マンガ 「NANA」(矢沢あい)。
はー ナンだこりゃー(笑)
20年ぶり位の 青春ちっくな事してんなぁ アホか私(^^;)。
何故か、その頃してた 片想いの感覚と 似てるんだよなー・・・。 今のカンジ。
別に 純愛でも 片想いでも プラトニックでも何でもないのにね(^^;)。
今の恋人は、不思議と
青春時代の あまずっぱ系の恋愛感情をかきたてられる相手。
こんな年になってね〜。。
かなり楽しんでるかも。(^^;)
勝手に一人で だけどねー。
男の人は 理解不能かも・・・(笑) いいや。恋愛フェチだから私。(笑)。
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・・・そう無邪気な部分と。
もっと 奥深く、闇に押しつぶされそうな位
難しい部分と・・・。
色んな面を持っている関係。
闇の悪魔を どんどん退治して、
上のような無邪気な愛情で
心満たされるようになれたらいいなぁ。
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「家族が幸せになる心理学」(加藤諦三)
ツボだぁ・・・・・・。
私の 心の傷を 説明するには、この本がかなり役立ってくれそう。
この人は 東大出てハーバード大学研究員など勤めるチョーエリートなのに
至ってわかりやすい、小学生でもすいすい読み進むことが出来る文体。
大事な人には是非 読んでもらいたいな、と思うけど、
人に、何かをして欲しい時に、
なぜか、「私のお願いなんて 誰にも聞いてもらえない」
と 勝手に諦めてしまう所があって。
もっとワガママになればいいじゃん・・・ とか 言われるんだけど
どうして、それさえも出来ないか、
その奥深い問題を、この本が解き明かしてくれた。
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例えば、
「愛に育まれた子供と愛に見捨てられた子供では、言葉の受け止め方が違う」
という章。
----普通の人は「この人なしには生きていけない」という言葉をどう解釈するだろうか。
多くの人が言う「この人」とは、自分が生きていく上で手助けをしてくれる人のことである。
自分には行きたい道がある。その道を行くには一人では無理である。
しかし自分はどうしてもこの道を行きたい。しかしその体力はない。
「この人」とは、そこで疲れて歩けなくなった時に自分をおんぶしてくれる人のことである。
「この人」とは、倒れそうな時に杖となってくれる人のことである。
「この人なしには生きていけない」という言葉の意味は、山あり谷ありの人生を生きていく上で、
「この人」の保護がなければ自分は生きていけないという意味である。
「この人」なしには自分は栄えなかったという意味である。
それが「母なる人」を持った人の解釈であることを私は知った。
なるほど同じ言葉でも人はまったく違って解釈するのだなと思った。
しかし私が言っている意味は違った。私は「父親なしには生きていけなかった」。
しかしそれは父親が私を助けてくれたからではない。父親に心理的に依存していたからであった。
そして私の言うような意味でこの言葉を使う人は、小さい頃、完全に
無関心な家族の中で育った人たちであることに気がついた。
誰も自分に関心を払ってくれないのである。
「ねー、ねー、ねー」と言っても周りは無関心。誰も返事をしてくれない。
暗いトンネルの中で、「ネー!」と叫んでみる。しかし周りは知らん顔。
その時に誰かがつねってくれた。「つねってくれた」とは妙な比喩なのであるが、その通りなのである。
母親は私には完全に無関心であった。
私が外で怪我をして足を引き摺って家に帰ってきても気がつかなかった。
私が母親の眼の前で誰かに倒されて、苦しんでいても面白そうに笑って見ていた。
そういう環境にあっては、子供は初め母親にとってお人形さんのようなものである。
お人形さんが倒れれば面白い。
母親は子供を産んだという感覚がない。卵を生んだ感覚である。
だから子供はお人形である。お人形が手がかかれば、捨てる。
母親の関心を引こうにも引く手だてがなかった。母親は私に完璧なまでに無関心であった。
誰にも愛されなかった子供が「この人なしには生きていけない」と言う時には、
その人にしがみつく以外に生きようがないということである。
他の人は、しがみつこうにも振り払われてしまう。
周り全部が完璧に無関心。家出をしても誰も気がついてくれない。
そんな時に「これをすれば、認めてやる」という条件を出す人が現れたらどうなるか。
その人にしがみつく。人は心理的にも無力に生まれる。
誰かに心理的に依存しなければ生きていけない。-----
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私の家の場合、「完璧に無関心」な行動は取られなかった。
例えば 怪我したり、ぜんそくだったりの時は
母は「きちんと」処置してくれた。
父は「ちゃんと」心配してくれた。
そして、父も、母も、親として正しいことをしている自負があった。
一見 何の問題もない。
でも、その奥には もっと根深い 大変なことを抱えてるんだ・・・。
・・・・・・え〜〜〜ん・・・・・
最近 電車でも 地下鉄でも どこでも泣けてくる。
ただ生きてるだけで、苦しかった。
この30数年分の苦しみを吐き出すかのように・・・。
親が取ってる正しい親としての行動は、すべて、「すべきこと」だからだ。 そうすべき、そうすることが人として正しいから、している。
子供自身が 無邪気に興味を持ったり やってみたいという事には
ことごとく 無関心だった。
子供自身の気持ちなんかより、自分の親としての勤めを「正しく果たす」事に意識が集中。
それは、上の加藤諦三さんの場合のような「無関心」と何ら変わりない事だ。きっと。
「それは やるべき事をやってからにしなさい」
と 無邪気な興味を 完全に封鎖してしまう親だった。
「やるべき事」は 当時は勉強やピアノや家の手伝いだった。
それらを頑張っても、心から喜んでくれた覚えがない。
まずいつも、開口一番、必ず 出来てないところを責められた。
「ここがダメだったね」 とか ・・・・・・笑顔で。
子供の至らなさを許す、優しい親とでも思いたかったんだろう。 出来ているところを完全に無視。
出来てないところだけ、ことさらにクローズアップ。 そして、もっとやらなくちゃという事だ。
そう言われているうちに、
自分自身が 何に興味を持ったか、どんな事をやってみたいか、
という感情が湧かなくなった。
言っても受け入れられない、というのがスタンダードだから・・・
だったら、感じない。最初から 望まない方が。
期待した分もっと傷つくから・・・・
そう心をガードするうちに・・・・・
「鬱病」になった。
そう。私は やっぱり鬱病だった。
でも、それさえも気づかせてもらえなかった・・・・・。
「私たちのいい育て方のおかげで、こんなに優しくて優秀でいい子に育って」
という親の満足度を満たすために、私の人生は使われた。
「使われた」というのも、親は全く思ってない。
より奥深く、陰湿で、根が深い。
一見、理想的で 問題どころか 「素晴らしい親」として君臨してるのだから。
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私の心の中には、沢山の恐怖症がある。
まず「人間恐怖症」、それから「家事恐怖症」、
「仕事恐怖症」、「趣味恐怖症」etc・・・
人に話しかけられるのが怖い。・・・「上手に受け答え出来ないと」と身構える。
人と同じ時間を共有するのが怖い。・・・「何か話しかけるべきじゃないか」と脳のどこかで脅迫される。
家事がろくすっぽ出来ない・・・と 幼少の頃から思っている。
ちゃんと仕事して自活出来ないとろくな人間じゃない・・・と脳のどこかで脅かされている。
色んな人が色んな趣味を持ってるのに私は何もない・・・と虚無感に襲われる。
その結果。
人に話しかけられる前に身構えて、一生懸命理想的な受け答えをする。
人と同じ時間を共有する時は、勤めて何か話しかけたりするようにして、カンジよく振舞う。
家事が出来ないコンプレックスから、その分仕事を入れて働く。
親に泣きつくことなく、自分の収入で全てまかなっている。
趣味が少ないコンプレックスから、色んな楽しい事を探す。
・・・・・・ 何だか、誰にも心配されない、
いい人間 「みたいな」 人間に育っちゃった。
信頼されて、人から頼られて。
だから・・・・・・ 問題はより根が深いんだ。
もし何の問題もないなら、
この 日頃の私の苦しみは何?
数年前の 娼婦より悪いような生活は何?
2年前になった甲状腺ガンは何?
他人にとってはいい人だけど
自分が壊れそうなんだ・・・・・・・
絶対、歪んでる。 これじゃだめだ。
どんなに人が私を信頼してくれていても、
私が人間に憎しみや復讐心を持って生きているんだから。
これじゃ、だめだ。
自分と、親と、大事な人と、他人と、
和解したいんだ・・・・・・・・
自分が何を感じてるか 何が伝えたいか
それが 奥底の底にがんじがらめになってる。
根が本当に、深くて深くて・・・・・
この根の呪縛を解かない限り
私は 本当の意味で 人に何かを与えられる人間にはなれない。
強い願いがあるのは、わかったんだ、今日。
神様に、何をお願いするのかさえ、わからなかったけれど、
とりあえず手を組んで眼を閉じてみた。
「神様・・・、どうか、」
その後 口をついて出たのは
「どうか、私を、大事な人の役に立てる人間になるためにサポートして下さい」
だった。
「大事な人にとって、プラスになりたい・・・・プラスになりたいんです・・・」
と 繰り返し 繰り返し 激情が込み上げながら つぶやいていた。
涙がぼろぼろ。悲鳴に近い声で・・・。
愛したいんだ。心から。大事な人を。
この私の内側の呪縛を解いて・・・・・。
2005年05月27日(金)
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