TENSEI塵語

2015年03月04日(水) この半世紀(4) 音楽 -その1-

中学1年生のころから、クラシック音楽を真剣に、貪るように、それこそもう生き甲斐であるかのように聴くようになりました。
私が12歳だったのは、1968年です。
そのころ家にあったオーディオ機器といえば、オープンリールのテープレコーダと、何らかのアンプ付きスピーカーにつないで利用するレコード盤用のターンテーブルだけでした。
いわゆるオーディオステレオのようなものは一般家庭にはかなり贅沢な時代だったので、そのレコード盤用のターンテーブルをラジオやテレビにつないで使っていましたが、そんな粗末な音楽環境でも、与えてもらえるような時代になっていたというだけでも、今思うと本当にラッキーだったと思います。
レコード業界の録音レベルも、50年度から60年度にかけての進歩がめざましく、さらに70年度〜80年度と一層音質に磨きがかかり、80年度後半あたりからはデジタルの時代にもなって行きます。
あのころはクラシックの音楽の録音もたいへん活発に行われるようになって、たいていの名曲は聴けるようになっていました。
また、オーケストラの名曲のフルスコアが、専門家仕様でなく、文庫本かペーパーバック的な仕様で売られるようにもなっていて、中学生の小遣いでも買える、とてもありがたいことでした。
もしももう10年早く生まれていたら、中学高校時代にあんなに貪るがごとく音楽を楽しむことなどできてなかったに違いありません。
また、もしももう15年か20年ほど遅く生まれていたら、どうだったでしょうか?
オーディオ機器はもっと良くなっていて、最初からいい録音でいろいろな音楽が聴けたかもしれない。
しかし、そのころ生まれていると、スーパーファミコンなどが流行した時代と思春期が重なることになったのでした。
読書についても言えることですが、もしもその少し新しき良き時代に育っていたら、あれほど集中して飢え渇いたごとくに音楽と向き合っていたかわかりません。
私はまだ物に恵まれなかった時代に、最低限の環境は与えられて、音楽や文学に出会ったことを、運の良いことに思われてならないのです。

中学・高校時代は、カラヤン、カール・ベーム、ブルーノ・ワルターの演奏に格別魅かれていて、私の音楽の先生はカラヤン、ベーム、ワルターの3人です、と言っていた時期もあったほどです。
もちろん、指揮者に限らず、ピアニストでもヴァイオリニストでも、管楽器奏者でも、真剣にくり返し聴いたすべての演奏家からいろいろなことを学びました。

また、あの時代、テレビでオペラも観ることができたのは、とてもありがたいことでした。
確か、NHKがイタリアから歌手やスタッフを招いて年1度4公演かを開催して、それを再三放映してくれていたのだと思いますが、1〜2度テレビで放映されてるのを観ては、ラジオからテープに録音したものをくり返しくり返し聴いていたものでした。
それから10年後くらいだったでしょうか、大学を卒業し就職したころには、ヨーロッパの歌劇場が来日公演することも増え始め、ワーグナーの舞台さえ観ることができるようになっていました。

中学時代に最も圧倒され「圧!!巻!!」表記せざるを得ないほど心酔していた曲はベートーヴェンの第九で、スコアは綴じ紐が切れるほどボロボロになってしまったほどでした。
高校時代はブラームスやチャイコフスキーの交響曲にとりわけ夢中にはなりましたが、結局、マーラーの「大地の歌」の第1・6楽章、、、、いや、さらに第2交響曲「復活」が「圧!!巻!!」の曲になりました。
マーラーの交響曲は当時はまだそれほど録音がなく、「大地の歌」と1、2、4、5番くらいしか私には買えなかったのですが、マーラーは怪物に思われました。

以上が、1970年をはさんで中・高時代を過ごし、その時代ならではの音楽鑑賞生活を送った者の感慨です。
いい時代を生きて来たもんだなぁ、、とつくづく思います。
しかも、驚いたことに、この後、素人のままながら演奏者としても生きることができたのです。
そんなチャンスにも恵まれた時代がこのもう少し先に用意されていたことが驚きなのです。


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