TENSEI塵語

2008年08月17日(日) 母親の自害の場面

我が子の幸福を祈願しつつ育ててきた母親が、
子どもがまだそこにいる、という場で自ら命を断つものかなぁ、、?
という素朴な疑問からなかなか抜け出すことができない。

「マダム・バタフライ」も「ミス・サイゴン」も、
明治時代の日本女性、世界大戦後のベトナム女性という違いはあるが、
大筋での運命は共通している。

アメリカの軍人と結婚したものの、夫はすぐに単身帰国してしまい、
再会を待ちわびつつ、貧しい中で子を生み、育て、、、
ところが3年後にやっと再会できた時には、アメリカ人の妻が同伴で、
一緒には暮らせない、しかし子どもだけは引き取って育てる、となる。
蝶々さんもキムも、我が子の将来のために子どもを託す決心をし、
自らは死を選ぶ。

・・でも、我が子と別れる前に、
自ら命を絶って血を流す母の姿を見せようとするものかなぁ、、
という素朴な疑問にしばしばとらわれてしまうのだ。


何十回と繰り返し聴いていた「ミス・サイゴン」ロンドンオリジナル盤
のラストの音楽はこうなってた、、、
キムが最後に再び「I'd give my life for you」を歌う。
それから、静かな音楽が流れ、その音楽が高まると、
一転して「アメリカンドリーム」の陽気な音楽(約25秒)、、、
そこに突然の銃声、、、小刻みな音楽がクレシェンドされる中、
クリスがキムを呼ぶ声が聞こえ、、、という流れ。。。

私はそれを(歌詞&ト書きもろくに読まず)勝手にこう思い描いてた。
キムが最後の決意を歌った後、子どもをクリスたちに託し、
自らは祈りを捧げ、彼らは去り、、彼らが外に出て歓楽街を去るころに、
突然の銃声! クリスが思わず引き返す、、、と解釈し、
このラストのイメージがとても気に入っていた。

ところが、先日の公演のラストは、
「アメリカンドリーム」の挿入もなく、
エンジニアとクリス夫妻に子どもを託すと、
彼らがまだその場にいるうちに、キムがいきなり寝間に駆け込み、
カーテンの裏で発砲、、倒れ込みながら再び姿を現す、、というもの。
で、その場でクリスが駆け寄り、キムの名を呼んで、
束の間の会話、、フィナーレ。。。

おいおい、、(汗) うーん、、意表を衝かれたなぁ。。
でも、その前のキムの歌から感動してたので、
そのまま音楽の流れで感動を引きずったまま見終えたのだけれど。。


でもなぁ、、、、
何かこれ見よがしの自殺に見えるのは、私だけだろうか?
これが、何百回と上演を重ねて来た上でのベストの演出なんだろうか?

で、「蝶々夫人」を見るたびに思う最初の素朴な疑問に戻るわけだ。
「蝶々夫人」だと、子どもを外で遊ばせてる間に自害しようとしたら、
子どもが駆け寄って来たので、そこで感動のアリアを歌い、
その後、基本的には、子どもに目隠しをして傍に侍らせて自害、
ということになっているようだ。
そうまでして、子どもがまだ自分のところにいるうちに、
急いで死ななきゃいけないの? と思ってしまうのである。

どちらの作品も、そんな感じで何度も何度も上演され、
感動を与え続けてるわけだから、
私の素朴な疑問の方が一般的ではないのだろうけど。。。


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