我が子の幸福を祈願しつつ育ててきた母親が、 子どもがまだそこにいる、という場で自ら命を断つものかなぁ、、? という素朴な疑問からなかなか抜け出すことができない。
「マダム・バタフライ」も「ミス・サイゴン」も、 明治時代の日本女性、世界大戦後のベトナム女性という違いはあるが、 大筋での運命は共通している。
アメリカの軍人と結婚したものの、夫はすぐに単身帰国してしまい、 再会を待ちわびつつ、貧しい中で子を生み、育て、、、 ところが3年後にやっと再会できた時には、アメリカ人の妻が同伴で、 一緒には暮らせない、しかし子どもだけは引き取って育てる、となる。 蝶々さんもキムも、我が子の将来のために子どもを託す決心をし、 自らは死を選ぶ。
・・でも、我が子と別れる前に、 自ら命を絶って血を流す母の姿を見せようとするものかなぁ、、 という素朴な疑問にしばしばとらわれてしまうのだ。
何十回と繰り返し聴いていた「ミス・サイゴン」ロンドンオリジナル盤 のラストの音楽はこうなってた、、、 キムが最後に再び「I'd give my life for you」を歌う。 それから、静かな音楽が流れ、その音楽が高まると、 一転して「アメリカンドリーム」の陽気な音楽(約25秒)、、、 そこに突然の銃声、、、小刻みな音楽がクレシェンドされる中、 クリスがキムを呼ぶ声が聞こえ、、、という流れ。。。
私はそれを(歌詞&ト書きもろくに読まず)勝手にこう思い描いてた。 キムが最後の決意を歌った後、子どもをクリスたちに託し、 自らは祈りを捧げ、彼らは去り、、彼らが外に出て歓楽街を去るころに、 突然の銃声! クリスが思わず引き返す、、、と解釈し、 このラストのイメージがとても気に入っていた。
ところが、先日の公演のラストは、 「アメリカンドリーム」の挿入もなく、 エンジニアとクリス夫妻に子どもを託すと、 彼らがまだその場にいるうちに、キムがいきなり寝間に駆け込み、 カーテンの裏で発砲、、倒れ込みながら再び姿を現す、、というもの。 で、その場でクリスが駆け寄り、キムの名を呼んで、 束の間の会話、、フィナーレ。。。
おいおい、、(汗) うーん、、意表を衝かれたなぁ。。 でも、その前のキムの歌から感動してたので、 そのまま音楽の流れで感動を引きずったまま見終えたのだけれど。。
でもなぁ、、、、 何かこれ見よがしの自殺に見えるのは、私だけだろうか? これが、何百回と上演を重ねて来た上でのベストの演出なんだろうか?
で、「蝶々夫人」を見るたびに思う最初の素朴な疑問に戻るわけだ。 「蝶々夫人」だと、子どもを外で遊ばせてる間に自害しようとしたら、 子どもが駆け寄って来たので、そこで感動のアリアを歌い、 その後、基本的には、子どもに目隠しをして傍に侍らせて自害、 ということになっているようだ。 そうまでして、子どもがまだ自分のところにいるうちに、 急いで死ななきゃいけないの? と思ってしまうのである。
どちらの作品も、そんな感じで何度も何度も上演され、 感動を与え続けてるわけだから、 私の素朴な疑問の方が一般的ではないのだろうけど。。。
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