| 2008年08月13日(水) |
「ミス・サイゴン」新たな感慨 |
パンフレットを読んで改めて知らされたのは、 サイゴン陥落は、私が大学に入学した75年の4月30日。。。 そのころの私がどんな風にそのニュースに接していたのか、 まったく覚えがない。 たぶん、新しい生活に浮かれ、新しい仲間関係にあたふたし、 世の中の動きにはかなり無頓着な毎日を送っていただろうし、 その後のベトナム戦争終結の報道も、 戦争が終わってよかったよかった程度にしか受け止めてなかったろう。 だから、大学時代に「ディア・ハンター」という映画を観た時、 主人公たちが捕虜になってロシアンルーレットに怯える場面に 代表されるような悲惨な戦争の場面には引き込まれても、 終盤の彼らの虚無的な姿には理解が及ばないところがあった。
戦争はそれ自体が悲惨な悪で、 国家のエゴで多くの生贄を正当化してしまうというだけでなく、 終わればめたしめでたしというわけでも決してなく、 さまざまな後遺症をもたらす。 それは、戦後60年以上経っても、 まだ戦時の諸問題を清算しきれてない日本社会を見ても明らかだ。
このミュージカルで強調されてたのは、 参戦した兵士のやりきれない思いと、 アメリカ兵とベトナム人女性との間に生まれた子どもの問題。 「ブイ・ドイ」という歌は、その置き去りにした子どもたちを、 「我々の罪の証だ」「彼らはみんな我らの子だ」と歌うが、 舞台では、この歌の時にビデオ映像を上映した。 難民キャンプに取り残された混血孤児たちの映像を。。。
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