TENSEI塵語

2008年05月06日(火) 父の介護

父は83歳だが、数年前から頭の方はもうわけわからない状態に
入ってしまっている。
その父を、ほとんど妹と80歳の母に任せっきり。
数年間デイケアサービスで日中だけ預かってもらうことで
(時々は何日間か預かってもらう)何とかしのいできたが、
父を動かすのがだんだん大変になってきたので、
去年の半ばから常時預かりの施設に入れてしまった。
母が毎日夕方、夕飯を食べさせて寝かせに行ってくれている。

先週母から久しぶりに電話がかかってきた。
「連休中、暇な日ない?
 お爺さんと一緒にみんなでご飯食べてあげてほしいの」
毎日毎日、その病室みたいな部屋で何をすることもなく過ごし、
このまま人生終わっちゃうってのも何かかわいそうで、
それで、2〜3カ月前に、「子どもたちとご飯食べたいな」
みたいなことをポツンと言ったのが気になってたそうだ。
父はもうめったに聞き取り可能なことは話さない。
何か話してるようでも、ほとんど何言ってるかこちらにわからない。
でも、それははっきり言ったそうだ。
「それに、久しぶりに一晩くらい家に連れて来ようかなと思って。
 それなのに、ご飯の時私だけだと、いつもと一緒だし、、」

それで、日ごろなかなか顔を出せず、親不孝を重ねてるので、
一昨日、家族みんなで出かけることにした。
4時半ごろに来てね、と言われていたが、2時半ごろ電話が来た。
「助けて〜〜」という母からの電話だった。
施設での生活で父がもう自分ではぜんぜん歩こうとしなくなっていて、
タクシーの運転手が降ろして車椅子に乗せてくれたのだけれど、
玄関から中に入れない、まったく動かせないのだと言う。

慌てて駆けつけて、私と息子とで父をを持ち上げて
家の中に入れるところから始まった。
しかし、重い。
脱力してしまっている人間の重さは予想以上だ。
しかも、時々抵抗したり、柱などにつかまろうとするので、
しかも、そういう時の力は呆けてるとは思えないほどなので、
もうたいへんな苦労である。
そんな風にして、いったんベッドに寝かせたり、
起き上がらせて椅子に乗せて食卓に運んだり、、を繰り返したが、
私自身の腰痛に打撃が来ないように、最新の注意を払った。

食事は破綻もなく無事に過ぎていった。
箸も、ちょっと頼りなく、時につまんだものを落としたりするが、
まあまあ自分で使えるようだ。
母が皿に取ってくれるものを、無表情に食べている。
噛むだけは一生懸命噛んでいる感じなので、却って哀れに見える。
息子や嫁や孫たちと食べてるとわかってるのかなぁ、
わかってないだろうなぁ、、と思ってもやはり哀れに見える。
でも、母は、いつもよりうんとよく食べてると驚いていた。

その日は父をベッドに運んで眠った後で帰宅し、
翌日、施設に連れて行くために夕方再び出かけた。
車に乗せるとき、降ろすときが最高に難儀だった。
乗せるときも降ろすときも、こちらも姿勢が取りにくく、
父も身体を突っ張ったりして抵抗するものだから。。
幸い、その前からずっと父が息子の手を握って話しかけてた、
そのままの状態を息子が守って協力してくれたおかげか、
何とか私だけの力で乗せたり降ろしたりすることができた。

施設の玄関で車椅子にやっとこさ乗せた時に、
父の身体が何かこわばってる感じがしたので、
車椅子を押して、辺りをぐる〜っと散策することにした。
回っているうちに父の身体が落ち着くのがわかった。
最初脚を突っ張るように伸ばしていたのが、
素直に足乗せの上に足を乗せて、おとなしくしていた。
時々何かつぶやいているけど、適当に相づち打ちながら、、、

玄関に戻ると、母と言葉を交わし、笑った、、、笑った?!
車椅子の後ろからのぞき込むと、確かに笑っている。
前日以来、初めて見た笑い顔だった。
母も、父の笑い顔をずっと見ていなかったそうである。
この、短い、外の散策が、うれしかったのだろうか?
うれしいとまで行かなくても、何か解放された感じ?
時々、外を車椅子押しにでも行かなきゃいけないなぁ、
と、帰宅後夕飯の時に息子たちと話し合ったりした。

夜、母から電話がかかってきた。
母はあの後父に夕飯を食べさせるために施設に残ったのだが、
忘れ物に気づいて家に取りに戻ってまた施設に行った。
その間相手をしてくれていた介護士くんがこう言ったそうだ。
「何してきたの? って聞いたら、
 子どもたちとご飯食べてきた、って言ってましたよ」
母の報告してくれる声はうれしそうだった。
「え〜?? 本当に覚えてるの?!!」
思わず、うる、、うる、、してしまった。
母の苦心惨憺の目論見は、ささやかだったかも知れないけど報われた。

日ごろの親不孝を大いに反省する2日間だった。





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