TENSEI塵語

2007年07月10日(火) 「白夜行」

東野圭吾の、854ページもある持ち歩くのもたいへんな文庫本である。
きょうの夕方やっと読み終わった。
といっても、読み始めたのがいつかわからない。
先月の12日に、帰る途中喫茶店で本を読んだことが書いてあるが、
この時は、久々にこの「白夜行」を開いたのだった。
最初の数十ページを読んでから、なかなかゆっくり読む時間が取れず、
それを読みたくて寄ったのだった。
それからコンクール関係の仕事もあったし、試験もあった。
まとまった時間が取れるときは、DVDの視聴に時間をとった。
若いころは、身の回りにものが少なかったので、
ひとつのことに専念しやすい環境にあったのだけれど、
今は、仕事も多岐に及んでいるし、いろんなものに囲まれていて、
本を読み始めても、なかなか一気に読んでしまうことができない。

それでも、登場人物の印象が強いせいか、
しばらく離れていても、すぐにその世界に帰って行ける。

この雪穂の存在感はなんだ?
小説全体の中で、そう多く登場するわけではない。
登場したときでも、雪穂の位置から描かれることはない。
実際のところ、何をどう考え、感じているか、そんなことは描かれない。
彼女はいつも脇役に過ぎない。
しかし、物語のさまざまな出来事に、常に影のようにまとわりついている。
出番も少なく、中心として描かれないのに、主役のようだ。
雪穂よりもうんと出番の多い桐原も、中心として描かれることがない。
また、桐原と雪穂が共演する場面もない。
それにもかかわらず、桐原という助演男優を通じて、
ヒロイン雪穂の真実が描かれているような印象を受ける。

桐原の言葉の中に
「おれの人生は白夜の中を歩いてるようなものやからな」とある。
解説者(馳星周という知らない作家だが)はこう書いている。
「幼いときに落ちた落とし穴から這い出ようともがく二人には、
 決して明るい昼の光は当たらない。
 白夜のように曖昧な薄暗い光が二人の行く手を照らすだけだ。
 その道行きは、暗く、おぞましく、利己的で、
 だがそれゆえに哀切を帯びている。
 読む者の心を、鋭いナイフのように抉る」
これは実に的確な表現ではないかな、と思う。
作者は、まさにこんな光の当て方で、主人公たちを描いているのだ。
実に、小憎い描き方である。

雪穂も桐原も、わるいやつらであるらしい、、、
良識的な登場人物たちもそれに気づいて危険視する、、、そう思いつつも、
がんばれ、がんばれ、と思いながら読んでしまう。
私はすっかり作者の仕掛けた魔力にかかってしまっている。
そうして、物語の終盤になって、彼らを白夜に彷徨わせたのが、
卑劣なじじいや、自分勝手な親たちであることを知らされるわけだ。

常に哀しみの漂う、壮大なる静かな物語であった。


余韻も覚めないうちに、「幻夜」を読み始めた。
阪神大震災や地下鉄サリン事件などを描いていて、もう夢中になった。


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