TENSEI塵語

2007年03月18日(日) 定演終了

演奏会が終わって、そのまま着替えもせず、上着を羽織っただけで
煙草を喫いに外に出ると、会館から帰ろうとする見知らぬ人から
「ありがとうございました」と声をかけられる。
定演でも市民音楽祭のような行事でもしばしばあることなのだが、
何回こういう場面を経験しても、なかなか慣れない。
もちろん、私はその人が今まで客席で聞いていた人ということを知らない、
だから、「ありがとう」の言葉が何についてのものなのか、
即座に演奏会のお礼とは判断し難いこともあるのだが、それ以上に、
そういう言葉をかけてもらえることにひたすら恐縮してしまうのだ。

我々の活動は、基本的には自己満足である。
自己満足に陥らないよう努力はするが、基本的には自己満足である。
毎週集まって合奏を楽しむのが基本である。
漫然とやっていても張り合いがないから、聞いてもらえる機会を求める。
依頼や参加の呼びかけに応じて演奏に出かけることもあるし、
自分たちで企画して2時間の演奏会を開くのが定演である。
定演を開くのは、あくまでも自分たちのためである。
だから、わざわざ聞きに来てくれた人にお礼を言うのは我々の方である。
満席の客席を見渡すだけでも、本当にありがたいことだと思う。
それが、最後まで聞いてもらえて、大きな拍手を贈ってもらえて、
揚げ句に、「ありがとうございました」では、恐縮するしかない。

もちろん、定演の曲目を決めるにあたっては、
観客として聞いた場合におもしろいかどうかをかなり吟味する。
すべての人に気に入られる曲などはない。
「かなりの人」に、1回聞いただけでも耳に入りやすい曲を選ぶ。
聞きに来た人が、せめて2、3曲でも、よかったなと思ってもらわないと、
わざわざ来てくれた人に失礼である。
それで、練習の際にも、客席での聞こえ方に配慮はする。
しかし、それはあくまでも私の想定であって、
実際に演奏会を聞きに来る観客がどう思うかはまったく予想できない。
しかも素人集団の、練習不足つきだから、様々な失敗や誤算もある。
演奏後の我々の心には、満足感と後悔が交錯している。
「あ〜あ、、」と思っているときに、「ありがとう」である。
アンケートを読んでも、「ありがとう」がいくつも書いてある。
何というありがたい言葉だろうか。。。

ちなみに、きょうのプログラム後のおまけには、「三日月」という曲と
スマップの「ありがとう」を演奏した。
毎年思う、上記のような思いの反映である。


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