| 2007年02月09日(金) |
言葉の世界は不思議な世界 |
きょうは2月9日かぁ、、いろんな語呂合わせがあるんだろうな、、、 「福の日」「服の日」「肉の日」、、、とちょっと検索してみたら、 やはりそんな記念日にもなっているようである。
それにしても言葉というのは不思議だ。 「ふくをきなさい」という音声を聞いても、 「福を着なさい」とか「福を来なさい」とか思う人はまずいない。 「にくらしいやつだ」という音声を聞いても、 「肉らしい奴だ」などと思う人もまずいない。 発音もイントネーションも同じなのに誤解されることがないという、 それにも驚きだが、無関係のものが同じ音声の語になったことも不思議だ。
五十音の「わ」には意味がないが、このたった一字が発せられると、 言葉の伝達環境の中では「輪」とか「和」とかの意味を伴う。 また、「わ!!」と言えば驚きの意味を伝えてしまう。 五十音の「ほ」にも意味はないけれど、このたった一字が発せられると 「帆」とか「穂」とか、安堵の思いを表す「ほ。。」の意味が伴う。
音楽でも似たようなことが言える。 単独で鳴らされた「ソ」の音には物理的以外の何の意味もない。 ところが、同時に「ド」の音が鳴るか「ミ」の音が鳴るかで、 途端に意味を帯び、我々に或る感情を語ってくる。 直前直後にどんな音が鳴るかによっても、様々な意味を帯びる。 だから、一音だけでは何の意味も持たない音も、 二音になると何らかの意味を持つが、 その二音も、前後の音の配列によってさまざまな意味に変貌する。
日本語という言語の場合に不思議なのは、たった一音でも状況との協力で、 さまざまな意味を帯び、それがちゃんと他者にも伝わることである。 前後に他の語が並べば、その一音の意味も更に広がる。 先の「ほ」にしても更に「保」「補」「歩」「火」「捕」など、 さまざまな意味を帯びる。
不思議なのは、こういう言葉を使い始めた我々の先祖が、 なぜこういう一音にこういう意味を持たせたかということである。 なぜ「福」と「服」が同音になり「木」と「気」が同音になったのだろう?
「町田健のたのしい言語学」を74ページまで読んだ。
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