TENSEI塵語

2007年02月03日(土) 年内の春

明日から暦の上では春、それを1年の始まりとするなら、
きょうはその大晦日にあたる日である。
ちなみに、きょうは旧暦の1月なのかな? 12月なのかな? と、
ちょっと調べてみたら、まだ旧暦の12月16日だった。
そういえば、きょう市吹に向かう途中、満月が出てるなぁと思ったのだが、
あれはいざよい月だったようだ。
時間はまだ6時前に堂々と姿をみせていたけれど。。。

子どものころは、もちろん節分の意味も知らず、
ただ、豆まきをしなければならない日でしかなかった。
鬼は外福は内と唱えながら、家の中にも外に向けてもはでに豆をまいた。
それは親からの指令であった。
時には兄が鬼の面をつけていきなり現れたりするものだから、
恐ろしさのあまり、升から何度も豆を握って力一杯ぶつけたりした。
いつまでそんなことをやっていたのか、よく覚えていない。
私の母はこういう風習を守ることにわりとこだわる人だったから、
大学で上京するまで、儀礼的にそれにつきあっていたかもしれない。

豆まきが春を迎える行事だと知ったのが高校の時か大学の時か覚えがない。
もっと早かったのかも知れない。
しかし、それは漠然とした、ふーーん、という程度の認識だった。
大晦日と元旦が年に2回あるようなもんだなぁ、、という程度である。
旧暦と新暦のずれについても何となく知っていて、漠然としていた。
要するに、昔の人は2月4日に元旦を迎えたわけね、と漠然と決めていた。

そういうことについて不思議に思ったのが、古今集の一首目の、

  年のうちに春は来にけり ひととせを去年とやいはん今年とやいはん

を読んだとき(その時が最初かどうかもわからない)である。
「年内に春が来ちゃったよ。残りの日々を去年と言おうか今年と言おうか」
よくよく計算してみれば、旧暦の1月1日が毎年2月4日と一致するなんて
あり得ない話で、それから旧暦への関心が深まったわけだ。
不思議に思ったのは、平安王朝人たちにとって、
1月1日が大事だったのか、立春が大事だったのか、ということなのだが、
残念ながら、そういうことをきちんと書いている資料は見あたらなかった。
少なくともこの歌を読む限りでは、
立春が1年の始まりとして大事だったらしいことが推測できる。
また、古今集の部立てを見ても最初は季節だし、
「春立つ日に詠める」という詞書きも多い。
そういえば、芭蕉の句にも、

  春や来し 年や行きけん 小晦日

というのがあった。
まだ、戯れ俳句に興じていた若いころの句らしい。
「春が来たのか、1年がもう過ぎ去ったのか。きょうはまだ29日なのに」
これは、江戸時代の人たちにもこういう戸惑いがあったということなのか、
それとも、先の古今集の歌を踏まえた戯れの句なのだろうか?







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