我々が言葉を発するのはなぜか? それは、心に浮かんだことを他者と共有したい欲求の表れである。 その行為を振り返って分析したときに、「伝達手段」なる概念が現れるが、 本来は、共有の欲求のようなものではないかと思う。 言葉を覚えたての幼児の発する言葉を聞くと、それを実感する。 日常会話も、「寒くなりましたねぇ」などというちょっとした挨拶も、 手紙も、こうして蜘蛛の巣機構の中で日記を綴るというのも、 「ねぇねぇ聞いてよ!!」で始まる大はしゃぎのご報告も そういう欲求の表れである。 他に誰もいない所での独り言や、誰にも読ませない日記というのもある。 独り言といっても、誰かに語っている。 それは心に浮かんだ誰かかもしれないし、自分自身かも知れない。 誰にも読まれない日記の場合は、 それを書きつつ吟味している自分でもあるし、将来の自分でもある。 とにかく、言葉の原点は、心に浮かんだことを他者と共有したい欲求である。 これが出発点である。
もっとも、これとは別次元の、言うべきことを言う言葉というものもある。 ニュース報道もそうだし、我々が授業で発する言葉も大半がそれだ。 しかし、こういうのは、考えられ準備されたことばだ。 本来の言葉の原点はやはり、 心に浮かんだことを他者と共有したい欲求である。 そこには主観はあっても、客観というほどのものはない。
(まだ途中なんだけど、もう眠い、、、)
|