TENSEI塵語

2006年12月19日(火) 民主主義の下で生きること

何か、教育基本法成立から、新聞読むのもイヤになってしまったのだが、
それでも、やはり毎日何ページかは目を通すのである。
そして、またもや腹の立つ記事があったのだが、ちょっとまだまとめにくい。
忙しすぎて新聞も読めない日が何日か続くこともあるのだが、
今のところは何とか読めるのである。
新聞が伝えてくれるのはほんのわずかな情報なのだろうけれど、
ほんのわずかな情報さえまったく知らないというのは感心しない。

民主主義とは、国民に主権があるということである。
実際には、代表として選挙で選ばれた人たちに代行してもらうのだが、
大事なのは、「君たちは比較的多数で選ばれたのだから任せる!」のでなく、
その人たちがきちんとした政治を行うかどうか、監督することである。
主権は、いわゆる多数決で選ばれた政治家たちにあるのでなく、
常に国民にあるのである。
為政者たちの言動をチェックする意志が、どれだけ民衆の中に生きているか、
それが、その社会がどれだけ民主主義的かを計るバロメーターである。

私はそういう目で約30年間日本の社会を眺めてきて、
まだ、民主主義という制度の中で民主主義は生きていないと思っている。
いまだによちよち歩きか、若いころ目覚めかけたけれど叩きつぶされたか、
あるいは、一向に目覚めないまま還暦を迎えて呆け老人になったか、である。
考えるのもイヤになるし、考えてもムダ、という魔の囁きもある。
もう、日頃は擦り切れるほど忙しい毎日だから、
専門家のように情報収集もできないし、考える時間も限られている。
しかし、民主主義の社会の中で生かしてもらっている義務を、
完全にさぼってしまうわけにもいかない。
ほんのわずかなことであっても、できるだけの監督はしなきゃ。。。


書きながら、いくつかの例が浮かぶのだけれど、
今夜は、きょう買ったプリンターの整備をしながら書いた。
もう遅いので、ここでやめておこう。
ま、例のいくつかは、今までにも書いてきたことでもあるし。。。


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