TENSEI塵語

2006年12月04日(月) 「公共」の意味

朝日新聞朝刊の「私の視点」コーナーに、
東京基督教大学教授(哲学)稲垣久和という人の寄稿があった。
『教育基本法 「公共」の意味 議論を』というタイトルである。
私も、改悪案の「公共」とか「公」という語が気になっていたので、メモ。

「公共」という語は、次のような意味である。

・特定の国民だけではなくすべての人に開かれている共通の関心事
・異質な他者と対話し、触れ合いながら、協働で生活を築き上げる広場
○つまり、「市民社会」を形成するためのダイナミックな概念

(02年の中央教育審議会の中間報告でのとらえ方)
・国境を越え、国際的に市民社会の成熟をめざす積極的な概念
・例えば、地球環境問題など、人類共通の課題が顕在化し、
 国際的規模にまで拡大している現在、
 互恵の精神に基づきこうした課題の解決に積極的に貢献しようという
 新しい「公共」の創造への参画も必要

それに対し、「公」という語はどう使われてきたか。

・国、官、政府、お上、天皇、、、つまり「おほやけ」


「公共」と「公」、「公共の精神」と「公の秩序」というものの区別が、
審議中の改案でははっきりされてなく、曖昧なままである。

「愛国心」を強調し過ぎれば「民族主義」に向かわないとも限らない。
その場合の「公共の精神」とは、戦前の場合は「滅私奉公」であった。


・・・要するに議論不足だということだ。
先月の15日に私が並べてみた6つの素朴な疑問に対する答えも、
まったく目にしたことも耳にしたこともない。
ま、国会というのは、本来は議論して物事を決するところなのだろうけれど
現状は単なる儀式の場で、議論なんて微塵も行われてない、
荒廃し切ったところだから、議論を、議論をと訴えても甲斐がないだろう。

先日誰かも書いてたなぁ。。。
私とまったく同意見で、
今までの基本法をしっかり実現する努力をすることが、教育改革だと。。。
しかし、「自由」や「民主主義」とはかけ離れた精神の自民党には
「自由」や「民主主義」の教育なんてのは難しくて手に負えない。
「放任」とか「自分勝手を許す」くらいの意味にしか考えてないからである。
その代わり「愛国心」はわかりやすい。
行く行くは、自分たちが何をしても文句を言わない国民が増えるだろうと、
ワクワクしているかも知れない。

・・・話が逸れてしまった。
そういえば、公務員とは「公の奉仕者」であるという言葉を、
私は「世間一般の奉仕者」「国民の奉仕者」という意味にとらえ、
「本来こうすべきことを責任もってする者」とずっと思ってきたが、
多くの同業者が「お上の奉仕者」、つまり、
「上がこう言ってるんだから(おかしなことだけど)しょうがない」と
お上に従順になることに唖然とし続けて20余年になる。
今整理して考えると、「公=お上」で「不当な支配に屈」し続けてきたのだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


TENSEI [MAIL]