TENSEI塵語

2006年11月10日(金) いじめ問題

いじめに遭っている子が先生や親にはっきりと救いを求めない、
これは何となくわかる気がする。
私はいじめに遭ったことがないのだが(どっちかというといじめる方だ)、
もしいじめられたとしても、親にも先生にも言わなかっただろうな、と思う。
ただでさえ屈辱に苛まれているのに、それを先生や親に話すのは
屈辱にだめ押しをするような感じがする。
また、先生に話すのは、告げ口をするようで、かえって後が恐い気がするし、
親には、話しても実際には何の効果もないような気がする。

生徒がいじめられてると訴えに来ても、担任は何もしなかったという例。
これも、非難するより前に、よくわかるような気がする。
自分が実際現場を目撃していない以上、慎重に対処するしかないのだ。
生徒のようすをあまり見ていなかったという点で批判の対象になるが、
自分が確認できてない以上、被害者から訴えられても動きづらいものである。

私が担任をする際に、長年心がけて来たことは、
しばしば教室に行くことである。
教員生活の最初が定時制で、とびきり荒くれなのと
とびきりひ弱でぼぉ〜〜としてるようなのが混在していたので、
なおさら神経質になったのかもしれない。
生徒に用事があるとか、後でこれこれの生徒と話をしなければ、という時も、
職員室に呼び出さずに、教室に出かける。
時には、教卓に忘れ物したようなフリをしたり、
掲示物を朝貼らずに、休み時間に貼りに出かけたり、
授業中の空き時間にも教室の様子を見に行ったりする。
「先公はいつどこに顔を出すかわからんなぁ」という雰囲気を作れば、
そうめったなことは起こらないだろうと思うし、
もちろん、おかしなことが起こっていないかを自分の目で点検するためだ。
ついでに生徒と話す機会も増えるし、意外ないい面も見えたりする。
面談の時には、いじめられそうなタイプの生徒には、
「楽しくやってるか」「いやなことはないか」「いじめはないか」などと
尋ねてみる。
定期考査後に、勉強の反省を書かせたりする際に、
最近困っていること、みたいな項目も与えたりした。

これで十分だとは、もちろん言わない。
幸い、いじめを理由に退学したり自殺したりする生徒はいなかったし、
いじめられて困っているという訴えも聞かずに済んだけれど、
実際に本当になかったのかどうかは知る術がない。
(証明問題でも、「ない」を立証することがもっとも難しいはずだ)
しかし、最低限これくらいのアンテナを立てることは必要だろう。


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