昨夜はあっけなく宵寝してしまい、深夜に目が覚めた時には 夕飯の時、後で月を見に外に出てみようと思ったことなど忘れていた。 もっとも、昨日は1日中雨で、夕方には一時晴れたけれど、 帰宅するころにはまた雲が覆っていたので、夜中に見れたかどうか知らない。
きょうは日中は風が吹き荒れ、晴れてはいたが荒れた不安定な天気。 寒いのか暖かいのかも、一言では表せないような微妙な陽気だった。 市吹に出かける夕方は、重い雲と晴れ間の混在する空から雨が落ちていた。 しかし、市吹の練習場に向かう途中、西向きに走っている前方に、 出たばかりの十六夜の月が大きく見えた。 上下を厚い雲に挟まれて、くっきりと模様のある丸い月が見えた。 くっきり美しい月とは言えなかったが、微かに赤みを帯びた月で、 そのあたりだけが不思議な絵画のような光景だった。 そこへ、風に吹かれた灰色の小さなちぎれ雲が興を添えてくれた。
昔の人も、十五夜の月が見られなかったら、翌日の月を見たいと思い、 それが見られなかったら、またその翌日に月の出るのを待ったのだろうか? 十五夜を過ぎた後の月の名前はなかなか情緒が漂っているものだ。 十六夜の「いざよい」というのは、ためらうように出るという意味だ。 十七夜の月は「立ち待ち月」、立って待っているうちに出る。 十八夜の月は「居待ち月:、立っているのに疲れて座って待っていると 出る月という意味である。目安としてはこれが8時過ぎくらいである。 十九夜の月は「臥し待ち月」そろそろ横になって待って見る月である。
こういう命名は、新月、三日月、半月、十三夜、、、等々の命名とは 根本的に異なっている。 命名の中に、人間の営みや願望が現れているような命名である。 満月を過ぎた、ちょっと欠けたそんなに取り柄のない月に、 「いざよい」「たちまち」「いまち」「ふしまち」などと名づけた、 こういうのも日本文化の貴重な財産に思われる。
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