TENSEI塵語

2006年01月30日(月) イライラの1日

昨日疲れてしまって、きょうの授業の準備ができなかった。
テスト返しの後の中途半端な時間のプリントの準備ができなかった。
まず、その緊急の仕事から今朝が始まったのだが、
絶えず頭の中をイライラさせているのが、
大学受験に伴う特別時間割と特別補習のための準備である。
何かそういうことでもすればいい結果が出るのではないかという、
進路主任の錯覚のために、余計な仕事をさせられているという意識である。
実のあることなら、ぼやきながらもせっせと仕事をしてもいいけれど、
こういう錯覚や形式的なことのために忙殺されるのはまったく堪らない。
しかし、システムがもうすでにこう動き始めている以上、
何もしないで無視するわけにもいかない。
まだ定期考査の採点も終わってないのである。
そして、その2つの大仕事は、他の仕事の中の一角でしかないのだ。
この時期のこの特別時間割と補習は、単なる負担という域をはるかに越える。
時間的に不可能と言ってよい。
一昨日の土曜日も昼過ぎまで学校で仕事をしたし、昨日も1日仕事だったが、
土日も全面的に学校の仕事で埋め尽くせ、と命じられているようなものだ。
そりゃ、やりますよ、大事なことなら、、、でも、
錯覚を満足させるために、なぜそんなに働かなきゃいけないの??

錯覚というのはこういうことだ。
まず、この入試直前か、入試のさなかに、
国語の入試問題を2問解こうが3問解こうが、まったく大差ないのである。
この1年に教えたことが、身についているかいないかはもう決まっている。
今やって意味あるのは、個々の生徒に応じた知識の整理であって、
曖昧な記憶を確実にし、覚え足りなかったことを補うことである。
それは、個々の生徒によって違うし、受験する学校によっても違うのだ。
講座を開いて何をやらせるにしても、個々の生徒という観点でみたら、
気休めにしかならないのである。
実際、授業後に図書館や特別教室に残って、銘々に勉強している生徒が多い。
通りかかったり、図書館にいて仕事していたりすると、
しばしば質問にあうので、説明してやる、、、それでいいのだ。
そんな中に講座をもつのは、かえって邪魔くさい時間の浪費である。
とりわけ、国語の読解問題なんてのは、もう必要ないのである。
こんなものは、短期間でどうなるというものではないのだ。

また、特別時間割であるが、受験になさそうな教科の授業を、
国・社・英のプリント(受験問題)を解く時間に置き換えるというので、
我々にそのプリントを用意しろと言う。
補習の教材探しさえ難儀しているのに、さらにそれである。
ところが、文系の5クラス中、3クラスは数名しか受験生がいないのである。
5クラス全体を見ても、大半が、推薦入試などで進路を決めてしまっている。
たった数名のために、我々は受験問題をあくせく探してプリントにし、
クラス全員が、そんなくだらない教材に取り組まされるわけである。
くだらなくない問題を探すのはひと苦労なのでたいへん時間がかかる。
そうして用意して、その時間を迎えると、その日は受験生のほとんどが
受験に出かけて休んでいる、ということも大いにあるわけだ。
何とくっだらない企画であろうか。
要するにこれも、進路担当の気休めに過ぎない。

この3年間、1年生の時からずっと同じ生徒たちを見てきて、
進路指導の大部分が錯覚から成り立っていることがよくわかった。
一流進学校と同じことをやっていさえすれば、とりあえず安心できる、
だから錯覚の中に安住していられるのだ。
その錯覚が、教員にも生徒にも虚しい苦労を押しつけているということに、
みんなが早く気づかなければいけない。


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