| 2002年10月27日(日) |
なんで分かったんだろうか |
さらしてある自分の小説を読み返して赤面しつつ、 去年の文化祭で、これの載った冊子を作ってるときのことを思い出しました。
文化祭直前、人手不足で「印刷された紙をひたすら折る」という単純作業が遅々として進まなかったため、私はちょっと暇そうにしてたクラスメイト何人かに「紙折らない?」と(主観的に)さわやかに誘って、文芸同好会の仕事を押しつけておりました。 当然、折るときにはそこに印刷された文章が目に入る訳でして、友人の詩を中途半端に鑑賞したりしつつ、作業は進むわけであります。 でも皆さんペンネームを使っているし、同好会メンバー同士でもペンネームと本名が一致しなかったりするし、基本的に、誰が書いてるのかクラスメイトは分からないわけです。 私も、いずれ自分の小説をみんなで折ることになるとは知りつつ、「黙ってればバレないだろう」と素知らぬ顔で一緒に作業を進めておりました。 ちなみに私は原稿の提出が非常に遅れたので(ごめんなさい)、一番最後。 自分が書いた文章が、(高校の印刷機でとは言え)印刷されて目の前にあるのを見るのは、なんとも不思議な感じのするものであります。原稿打ってるときは横書きだったのが、会長たちの涙ぐましい編集により、それっぽく縦書きになってるし。あぁぁ、カッコを多用しすぎたかなぁ、とか、一つの文章長すぎたかなぁ、とか、沈黙の点々って色々種類があって選ぶのも大変だわぁ、とか、やっぱりこの転換無理があるわ、でも実際他に思いつかないし、とか、まぁ色々黙って考えていると・・・。 となりに座って作業していた友人が、こっそり、「これ、ひょっとしてやまねさんの?」と訊くではありませんか。 私はえらいびっくりして、「なんで分かったの?」と聞き返したんですが、 彼女の答えは「うーん、なんとなく」でした。 うん、確かに、彼女には私の夏休みの旅記モドキを読んでもらってたので、私の文体とかそんなものは知ってたのだと思います。 でも、明らかにエッセイ風の旅記と、まがりなりにもフィクションという形を取ってる文章と、個人的には結構違うと思ってたんだけどなぁ・・・。バレるもんなんだなぁ・・・。 ちなみに彼女、全部読み終わった後、あんな文章を褒めてくれました。あぁぁぁありがとう。現金なものだけど、やっぱり嬉しいわ。
あ、それと、この日記を読んでくれてた人には当然のようにバレました。 5ヶ月分の日記を凝縮して作ったようなもんだから、これはまさに元ネタ。 「ノンフィクションでしょう?」なんて言われて、「うう・・・一応フィクションだよ・・・」と苦しい反論しかできませんでした。実際、ほんの少ししか違ってないし。
どこかの個人サイト(忘れたちゃった、すいません)の書評で、 「庄子薫が沈黙してなかったとしたら、このインターネット時代、きっと自分のサイトに毎日日記を載せまくる作家になっていたに違いない」みたいなことを言ってて、妙に納得。 直接自分の名前で日記を公開することはないかも知れないけど、何喰わぬ顔で日記用のペンネームを作って日記魔になるとか、ちょっとありそう。 妙な想像だけど・・・、実際彼は小説のモチーフというかネタを自分の日記から持ってきてたんじゃないかな、と、アホレプリカみたいなのを書いて思いました。 なんというか、逆に言うと、数年分の日記を濃縮すると、きっとあんな感じになるんだよ。 作中の一日(又は一週間)がとても濃いところとか、すごいリアルなモチーフというかネタが沢山あるところとか、非常にそれっぽいのだもの。
そして、また非常にどうでもいいけど、 かっこいいオリヴァー・カーンの写真を見つけて舞い上がってしまいました。心なしか少し切なげ。 こっそりどうぞ。
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