雑記帳
日々の感慨、経験、その他をつらつらと

2002年07月18日(木) 新聞

ネットをうろうろしてると、新聞の社説などよりよほど的確なことを言ってる人が結構いるんですよね。
彼らはもちろんプロではないし、当然原稿料もないのだけど、きれいなサイトを作って自分で書いた文章をたくさん載せてるわけです。
いや、社説に限らず、社会面でもスポーツ面でも、新聞に書いてあるようなことくらい、ネットでちょいちょいっと検索すれば簡単にでてくるし、それ以上のレベルの文章を見つけることも少しも難しくないわけで。

それと、あの地下鉄サリン事件等々のオウム裁判、始まった頃から10年はかかるだろうと言われてましたが、
その頃のいしいひさしちの4コマに、
麻原の判決が下ったという見出しの新聞をお父さんが取りに行く「10年後」のコマがあって、そこに括弧付きで「10年後に配達の新聞があるかわかりませんが」といったことが書いてあったと記憶しております。

しかしそれでも、配達の新聞は滅びないのだなぁ・・・(いや裁判はまだ終わってないけどさ)。
新聞やテレビが、「一般」や「世間」を作っているせいなんですね、きっとこれは。
新聞が崩壊することってあるんだろうか。
あるとしたら、やはりそれに変わるものが出来たからだろうか。
今のところ、両方とも私には想像しにくいですや。
(・・・話は飛ぶけど、「違和感」や「胡散臭さ」をまず初めに感じて、その後に何故そう感じたのか文章の矛盾や発言の意図を真面目に探すという姿勢はOKなものなんでしょうか。逆に言えば、「共感」や「それっぽさ」を感じた場合、特に矛盾や発言の意図を追及しないという姿勢でもあるんですが。)

ちょっと前まで、今度新聞記者に質問する機会があったら、「インターネットが普及してきてますけど、新聞の存在意義はどうなると思いますか」とか聞こうと真面目に思ってたんだけど、なんか無意味な問のような気がしてきた。


そしてもう少しずれるけど、
W杯熱の影響で、スポーツ誌とかを少し立ち読みしてみると、
なんだか「当たり前のことをを当たり前に書く」のが、原稿執筆を職業にしてる人でもどうやら難しいらしいと思えてきて。
いや、「当たり前のことを書いて読ませるのが難しい」のか?塾の先生も似たようなこと言ってたけど。
いや、そうじゃなくて、当たり前な文章が面白くない場合、それが一般論とかで本人のものじゃない、借り物だからじゃないんでしょうか。自分でひねりだしてないからじゃないでしょうか。
説得力があるかないかはこの辺の差ではないでしょうか。

・・・なんだか、理系の科学が進みやすい理由がようやく分かった気がする。すなわち、理論(文章の場合の一般論)が借り物でも全然構わない、証明されてるならそのまま使うことが可能だから。この意味での説得力が要求されない(むしろそれを切り離した世界を作った)から。
個人が一生の内にひねり出せる説得力は限界があるものね。

うーん、雑誌の記事と科学論をつなげるのはさすがに無理があったかしら。


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かずおん [HOMEPAGE]