最近、友人から「考える日々(池田晶子著)」を借りて読んでます。 池田晶子氏とは自称美人のねーちゃんの哲学者で、多少喧嘩腰で感情論っぽいのが気になりますが(さらに自意識がすごく強いけど、それは哲学者の宿命みたいな気もするからいいとして、)すごく哲学の王道を行ってる感じの文章を書く人です。 哲学してると自分の足もとから揺れてくる、って話をどっかで聞きましたけど、その通り。 私がこの日記の上部に「少しでも哲学が覗いていればこれに勝る幸いなし」とか書いてるのが恥ずかしくなってきてしまいました。 彼女の言う「思索」とか「哲学する」とか、私は全然やってなかったんだもの。せいぜい、拙い批評をするとか、流行りの(?)思想を追いかけるとか。そのくらい。いやそれもダメダメなんだけど、とりあえず置いとくことにして。
それにしても・・・。 何も考えない奴がくだらないのは分かるけど、 考えたからって果たして下るんだろうか? 池田氏も言ってるけど、考えたところで所詮、「分からないということが分かる」だけであって。 極僅かな程度の問題にしかならないんじゃぁ。
「果たして、世の中(人間でも自分でもいいけど)は身も蓋もないのか?」 「人間はつまり、くだらないのか?」
この辺、どうなんだろうか・・・。 確かに、真剣に考えたことのある人は、色々と深みが出てくるんだと思う。尊敬するに値する人は、きっとそういう人達。 でも、 “哲学はそもそも教養だから、身も蓋もなくても考えるのは人間の使命” “下るも下らないも、そもそも生に目的は無い” っていうことなんでしょうか?(結論が結構飛んでて御免なさい。)
こういうのって、頭の弱い人の嫉妬にすぎないのかしら。
※ちなみに、「考える」を「勉強する」に置き換えても個人的には変わりません(爆)。 勉強はいつまでたっても終わらない。全部わかるなんてことないから。だったらなんで、人は学ぼうとしているんだろう、と。 勉強ついては、「人間の使命だから」とか言われてもまず納得できないけど。(笑)「性質だから」だったらまだしも・・・。
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