ずんだいありー
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2001年05月12日(土) Healing you, healing me

金曜日があっという間にやってきてもう土曜日。昨日は恋を愛にすることもなく諦めるという行為で出会いを終了させた女狐と久しぶりに再開して赤坂のチンケな店でご飯。パスタまずすぎ。彼女は今「恋愛症候群」とかいう本を読んているらしく、その内容を聞くとあっしは完全なセックス依存症らしい。自分は醜いor愛されたい→セックスできると愛されていると思える→セックスしてつかの間の確認をする→繰り返しとなるらしい。う〜ん、良くわからないけど結局その本を読んでみるとなんでもかんでもあたっているようでびっくりした。さらに女狐とあたしは「共依存」的らしい。う〜ん、かなり心理学的でそしていっていることがよくわかんないけど当てはまる。そしてあっしと女狐が好きになるタイプは往々にして「ナルシスト」「回避依存」なんだと。つまり自分のプライドを守るため、たとえば振られるという行為が予想されるものに対しては完全に回避する・無視するor攻撃するといったパターンで対処するんだと。おお、JAL野郎も十分に回避してくれてるじゃんかよう。そして女狐の愛した人も同様に完全に彼女のことをすでに回避している。昨日なんて横断歩道で向こうから歩いてきているのに完全無視。それって幼いんじゃないっていわれるかもしれないけど、あれは彼の回避行動なのだと。相当病んでんな、あんたもあたしもって話しながら昨日は赤坂→表参道のすんげぇ高くて雰囲気のいいBAR→女狐宅へ。あっしは3杯、女狐2杯にオリーブとソーセージで17000円というのは確かに高いだろう。でもまぁ、許せるかっていうくらい雰囲気はよかった。可処分所得の高いあっしにはちと痛いけど女狐が気前良く払ってくれるのも嬉しい。

何か本当に辛いときに友達がいることは幸せだ。今回なんて僕が恋を失ったときに女狐も失ってそして二人で癒し合えた。healing you, healing meってな感じだ。友達がいないことなんて考えられない。でも、今日そんな話をしていてすごい発見
をしてしまった。うち、おばばには友達がいない。おばばには友達が一人もいない。一人も。彼女が誰かに相談をすることはない。相談相手はすべてわしだ。それで楽しく生きているのかは良く知らないけどでも本を読むことがあれだけ好きな母親はそれでいいのだろう。でもその息子である私はもう、友達がいないと生きていけないです。

恋愛っていうのって過去90%に現在10%くらいの自分で形成されているらしい。自分がいま好きになるタイプっていうのは過去のさまざまな経験によって成立しているのだと。自分のことを考えてみたら僕が好きになる強い人は自分のいうことで笑ったりしてくれて注目してくれる兄のような人だ。そういう人の感情を捕らえて生きてこなかった自分には彼らのような人を求めているのだと。お兄ちゃん、僕はおにいちゃんが小学五年生の時に僕の話に涙を流して笑ってくれたことを忘れることはなく、常にそういう話をしてお兄ちゃんを笑わせて生きてきました。そしてそうやってお兄ちゃんに笑ってもらうことで僕は僕の存在価値を見出してきたような気がします。それからもう17年も経って今、僕はまだお兄ちゃんみたいな人を探しては笑わせたり、ケツ使ってもらうことでなんとか自分の存在価値を見出そうとしているみたいです。そしてお兄ちゃんみたいな人をまだ探せずにいます。ブラコン、どうにかしてくれ。


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