西日が差したら枇杷の実を食べよう
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| 2001年05月07日(月) |
愛すべき、「きれいごと」。『ノッティングヒルの恋人』 |
『ノッテイングヒルの恋人』。
ロンドンのノッティングヒルに住む売れない書店主、ヒュー・グラントが、 ビバリーヒルズ在住のスタア女優、ジュリア・ロバーツと恋におちるという、 絵に描いたようなロマンティック・コメディー。
私は、不思議と、この映画に縁がある。 「何か面白いの、やっているかな」と、 WOWOWやCSN1などの、映画チャンネルをつけると、 なぜか、この映画が放送されていることが多いのだ。
映画館にも行ってないし、レンタルビデオだって 借りたことがないのに、少なくとも3回は観ていると思う。
そして不覚にも、3回とも、いつも同じところで泣いてしまう。
ラスト。 ジュリア・ロバーツのデカ口笑顔に、コステロの曲が重なる所。 このシーンになると、まるでツボでも押されたかのように、 だらしなく涙腺がゆるんでしまうのだ。
主人公ヒュー・グラントが大の苦手、なのにもかかわらず、である。
その、気恥ずかしいほど甘い邦題のセンス。 (原題は、ストレートに『Nottinghill』) 相手役、ヒュー・グラントの何とも言えない、ぬるさ。
偶然、テレビで出会わなければ、 きっと一生、みることはなかっただろう。
幾つかツッコミどころもある。 例えば、主人公の男に比重を置いて脚本が書かれているせいか、 ジュリア・ロバーツ演じる相手役の女優の方の心理が あまり描かれていないので物足りない…等。
女優が書店主に惚れるくだりも、 何かこう、ガツンと説得力あるエピソードが一つ、欲しいところ。
が、しかし。 そんなことはどうでもいいの。
おおげさに言っちゃえば、この作品には、 映画でしか描けない、映画でしか伝えられない世界、 私の好きなビリー・ワイルダー作品にも通じる、 「映画の良心」みたいなもの、 おおげさついでに、もっと言っちゃえば、 フィルムの中にしかない、「虚構の中の真実」みたいなものが、 そこに在る気がするのよね。
「恋をする」ということの、おとぎ話じみた透明感と、 「生活する」ということの、ザラついたリアリティー。
このどちらかが欠けていても、 ロマンティックコメディーは成立しないけれど、 この映画には、そのどちらも、バランスよく配分されている。
そして最高のみどころが、 主人公まわりのイギリス人たち!。 どこにでもいそうで、どこにもいない、 とんでもなく、キュートな個性の数々。
この映画には、 英国式極薄トーストの、カリカリとした舌触りまで感じられるような、 ロンドンという街の日常の匂いが、 夢のような恋物語を包み込むように、 しっかりと息づいている。
「きれいごと」? 「こどもだまし?」 でもね。 大人になって、 「きれいじゃない世界」をいっぱい知った後で、 あらためて出会う「きれいごと」は、 それはそれで、また格別な味わいがするものなのよ、 と私は思う。
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