人権�牋貽�100質��
〆よろしければ、相互リンクをお願いします。


2006年07月10日(月) 部落出身者中心



 ワタシには、「部落問題は部落出身者が中心」だと、部落研という組織で頭にたたきこまれた歴史があります。

 それで、部落出身者中心主義を見直そうという意見を耳にすると、警戒心を抱かずにはおれません。

 しかし、ワタシに歴史があるように、そう意見を述べる人にも歴史があるのですね。



 「部落出身者中心」は、具体的行動を、常に問題にしてきました。

「部落でない者に、部落差別の痛みわかるか!」とも言えない人、またはその裏返しである「どうせやっても無駄(部落差別はなくならない)」と考えている人を中心にします。そういう人の立場に立ちきります(見捨てないのです)。

 しかし現在は、「部落出身者中心」は、「部落でない者に、部落差別の痛みわかるか!」(「部落排外主義」といいます)と言う人を中心にすることだという批判が出ています。
 
 部落出身者(被差別マイノリティ)に対する不信がそれだけ強まっているのでしょう。


 「かけがえのない生命(いのち)を大切に」という魅惑的な言葉があります。「部落出身者中心」は、「部落解放運動の原点」とも言われてきました。ワタシにとっての「部落出身者中心」は、「解放運動の生命(いのち)」と言い換えた方が通じやすいかもしれません。




 さて、部落出身者にとっては、「部落出身者中心」は、「自分たちのことは、自分たちで語りたい」(これを難しい言葉で「融和からの脱却、自立」といいます)という根源的要求に当ると思います。

 これは部落問題に限らず、昨今の状況を見るに、セクシュアル・マイノリティ問題や「障害」者問題、他の人権問題でも、譲歩することのできない「生命」に当たっているのではないでしょうか?

 そういう視野でもって、「部落出身者中心」を再評価してみることを、まだやり残しているようにも感じます。
 
 それから、「部落でない者に、部落差別の痛みわかるか!」という意見に対し、部落研の友人たちは、「あとから生まれてきたということは、それを乗り越えるということや」と言っていました。「部落出身者は近道にいるだけ。部落問題はみんなの問題」、「自分は部落差別を肌で感じているから、他の差別もしない」と部落外の人間に対して言っていました。「部落でない者に、部落差別の痛みわかるか!」という言葉には、彼ら(部落出身者)も傷つく、ということを了解いただきたいと思います。


 被差別マイノリティに対する不信が強まった原因は何でしょうか(何があったのでしょうか)?

 人それぞれだと思います(言えない場合もあると思います)。

 ワタシには、それをお認めする勇気と懐の深さがまだまだ必要なのです。
 





ご参考までに♪



2002/11/24 (日) 『最後のひとりの立場に』

 あのぅ、ボクんち 部落問題関連の本 全然ないんですけど。
 実はこちらへ引越してくる際全部 行方不明になってしまって(ボショボショ)
 図書館行っても 偏ってますねぃ。棚の2/3が ある政党のもの(みなさんとこは どない??)
 この先 興味を持っても、買うか児童館や解放会館で立ち読みするしかないんかぃ。

 こちらでは、かつての支部長さんの刊行物『最後のひとりの立場に』が ハハの超お勧め本ですわ、てか。ボクは それを読んだら 思うんかな。
 
 部落解放運動のめざすものは あらゆる差別の「減った」世の中だと言う人は、差別にあった人が あと何人になったら「減った」というのだろうと。
 
 部落解放運動のめざすものは あらゆる差別の「無い」世の中だと掲げ続ける意味は 別の次元にあって 差別にあった人を 最後の一人まで切らない(見捨てない)という意味なんだって。人を切るか 切らないかの次元で 話している。差別はなくなるか なくならないかの次元で 話しているわけではなく。

(社会学的には、人は 他者を排除することによってアイデンティティーを保つというね)そこさえきちんと押さえていれば「めざすものは 差別の減った世の中にしておきなさい」と、他人が口をそろえて言っても ボクは 惑わされないのかもねぃ。
 ったく、どうしてこの本、図書館に置かないんだ。(ハイ、注文してみまふ)
 
 差別にあって助けが必要な人は 最後の一人まで切らないという意味なので、ここの支部の活動も 見ている範囲では 昔も今も 子どもを守る仕事が ちゃんと中心に据えられていると思う。
 差別にあって助けが必要でない大人はいるかもしれないが 子どもは いないから〜。
 
 親がしょっちゅう 蒸発するある兄弟は 朝 寝過ごすので、学校を欠席しがち。身寄りは オジイチャンがいるにはいるのだけれど。
 早速、支部の大人や大学生 出動して、起こしに行き始めた。子どもは、何とか 一人で起きられるようになったと 思ったら またしばらくして 学校を休みだして の繰り返し。

 しかも、もし、学校から家に連絡が入り、オジイチャンにこのことが知れたら、兄弟はどんな目にあうか(オジイチャンは厳しい人だということだった)。学校との連携も必要不可欠だった。

 はたで見ていても 兄弟がちゃんと登校するか角で 支部の人と学生が 車の中から見張っているというなかなか 大変な業務。
 
 ハハも その子のピアノの先生をどうよとみんなに持ち上げられ しばらく 児童館のピアノ開けて 兄弟と 交流持てたんだよ〜
(ハハはいいとこ取りでした)。

2002/11/24の日記より


 < 一つ前の日記  目次  次へ>


ミンク [MAIL]

My追加