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2004年05月23日(日) 【それぞれの狭山】



【狭山の風】さんに投稿しました♪




「今から41年前、あなたは何をしていましたか?
1963年、昭和でいうと38年です。その翌年は東京オリンピ
ックでした。あなたは何歳でしたか?もしかしてまだ生まれてい
ませんか?・・・」(「狭山の風」創刊号より)

  
 四一年前はまだ生まれていませんでした。
 ワタシが狭山差別事件と初めてであったのは一九八二年、大学
一年生のときです。部落研のオリエンテーションに呼ばれていて、
そこには、同じ学年、同じ学部で年齢は(予備校に通っていたた
め)一つ上の子♀も一緒に誘われていて、その子が「石川さんは、
私が生まれた年に、何も悪いことをしていないのに夜中に突然刑
事が来て、以来逮捕されて一九年間も家に帰れない状況が続いて
いる。私自身もそうなったらと思うとまずこわい・・・」と、一
歳年上とはいえ、横でしっかりとした感想を述べ、ワタシに対しては  
声かけして緊張をほぐそうとしたりするのを見て、この人にふさ
わしい友だちにならねばと思ったのでした。

 一見 大学生活をエンジョイしようとやってきた友人や、そう
でない、生活(バイト)に追われて 語学のような出席を取る授
業にも欠席しがちな友人を、狭山の企画などに誘って、事件の背
景にある部落差別のことを話させてもらうのは、当時をふりかえ
ってみて、少々しんどい時代に突入していたとは感じました。

 けれど、しんどさの中にも「楽しさ」があったのでやっていけ
ました。「楽しさ」のなかみは人それぞれだけれども、ワタシ自
身は、狭山を通じて「石川さんの問題を考えてみるのは、人と
して当たり前のことだと思う」と言ってくれる人や、「部落問題
を考えるのは自分のためだから」と言ってくれる人との出会いは
「楽しさ」でした。だから、はたからは「イケてない」と見える
(?)狭山の街宣や ゼッケンをつけてのビラまきも、同じ
目標・目的を持った人と一緒にいることの「楽しさ」をそれまで
知る機会がなかったので、単純に楽しかったのでした。

 その取り組みの中で、ある部落研の先輩♂から、高校時代(一
九八〇年代はじめ)に、「狭山事件」のビデオ上映会をやろうし
て、「狭山事件は強姦シーンが出てくるから」という理由で、仲
の良いクラスメートの親から反対されたのだという話を聞き
ました。ワタシは人のあんなに悔しそうな表情は初めて見ました。
保護者の中にある「被差別部落」に対する差別と偏見が、「狭山
事件」を遠ざけ、一人の人間が不当な裁きを受けようとしている
ことへの部落出身生徒の不安や怒りに気づこうともしなかったので
す。当時、運動の最盛期であったといっても、教師が「同和」教育
の時間をさいてくれたといっても、クラスメート全員からの上映の
承認を得られたといっても、親の壁は 今以上に厚かったといえる
のかもしれません。
 

本年「部落解放全国青年集会」で実行委員をされる方の言葉の中に
「・・・青年の間でも「狭山」に対する思いはそれぞれです。自分
の親と石川さんの生活が重なって見える青年や、狭山を通して部落
解放運動をますます広げたいという青年などそれぞれです・・・」
とあり、穴が開くほど見つめてしまいました。
「自分の親と石川さんの生活が重なって見える」という青年は、
「事件が自分の地域で起こっていたら、自分の父が逮捕されていたか
もしれない。だから、狭山事件と関わっていこう」と思ったのですね。
それは自分が部落出身者であることもまわりに開示してつながってい
こうとする生き方になりますね。
他方、「狭山を通して部落解放運動をますます広げたい」という青年
も、自分らしい生き方として、解放運動に進む道を選択しつつあるの
ですね。がんばってくださいね。
今日、部落と 部落外の若者文化に 差異はほとんどなくなっており、
部落の青年たちの自分(生き方)探しの問題は、部落外の青年たちの
自分(生き方)探しの問題でもあると思われます。本来生き方は多様
であり そのなかの一つとして解放運動に生きる道もあると思うのです
が、間違ったことを間違っているということは、案外楽ではないです。
そんな時、しんどくても逃げられない(殺人犯という無実の罪をきせら
れたまま、一生を送ることになる)石川さんの存在を知り、牢獄の外に
いる自分は、何をしんどがっているのかと思えば、きっと力が湧いてく
ると思います。
かつての同和教育には「部落の誇りを持ち部落差別と闘う子ども・部落民」
という同一の生き方を促してきた側面があったといわれ、そのはねかえり
として、世代間に深い溝が出来ているという報告は確かにあります。
ワタシは溝を作る前に、今現在でも、石川さんのような、「部落の誇りを
持ち部落差別と闘う」生き方以外選べない人がいるのを思い出して欲しい、
決して忘れないで欲しいと思います。
青年たちの世代はそれを知っていくこと、親の世代はそれを訴えて行くこと
で、「差別と闘う」一つの生き方の話は もっとしなやかに受けとめられ、
受け返されていくのではないかと思います。理想論ですが。
だから狭山を通じて、大人たちも自分の生き方を見つめ直していけるのだと
思います。


おしまいに、「5.23狭山デー」は要するに「逮捕デー」です。その他の項目に
ついても「裁判年表」といわれるものを見て調べたところ、
「1964年3.11一審死刑判決。1974年10.31二審無期懲役判決。1977年8.9上告棄却、
無期懲役が確定。1980年2.7第一次再審棄却。1999年7.8第2次再審棄却。
2002年1.23第2次最審棄却に対する異議申立を棄却」
などとありました。「裁判年表」とは要するに「暴力年表」であることが、
これでどの方にもおわかりいただけたと思います。

そういうわけで(石川一雄さんの講演をもとに)ワタシの独断と「偏見」で
「石川さん個人の年表」を作成させていただきました。


1939年1月14日 石川一雄さん 生まれる
1994年12月21日 石川さん 31年7カ月ぶりに故郷の土をふむ
1996年12月21日 石川さん 支援者早智子さんと結婚する
2003年6月4日 石川さんの義母シヨ子さん亡くなる
200○年○月○日 石川さん 再審無罪の報告を兼ね 亡き父母の墓参りに行く



石川さんは再審無罪をかちとる日まで、亡きご両親へのお墓参りはされない
そうですね。
一日も早く、石川さんが穏やかな日常を取り戻されることを願います。





(裁判年表)

http://www.jomon.ne.jp/~oldpine/sayama/saiban.htmlより


1963.5.1 中田善枝さん下校後行方不明に。自転車と脅迫状が自宅に届く。
5.2 深夜、指定された佐野屋周辺に警察が張り込む。犯人があらわれるが逃走し、取り逃がす。
5.3 山狩り捜査開始。自転車のゴムひも「発見」。
5.4 善枝さんの死体発見。警察庁長官辞表提出。
5.11 スコップ「発見」。死体埋没に使用されたもので被差別部落出身のIさんの養豚場のものと警察発表。(Iさんへの確認は5月20日)
5.23 石川一雄さん(当時24歳)が別件で逮捕される。第1回家宅捜査(2時間17分、刑事12人)
5.25 教科書・ノート類「発見」。
6.17 石川さんを保釈直後に再逮捕。川越署分室に移送。
6.18 第2回家宅捜索(2時間8分、刑事14人)。
6.20 「3人共犯自白」(調書の日付改ざん疑惑あり)。
6.21 カバン「発見」(同上)。
6.23 「単独犯行自白」開始(同上)。
6.26 第3回家宅捜索(24分、刑事3人)万年筆を「発見」押収。
7.2 腕時計「発見」。
7.9 石川さん、善枝さん殺しで起訴され、浦和拘置所へ移送。
9.4 第一審第1回公判(浦和地裁)。石川さん「約束」を信じて起訴事実認める。
1964.2.10 第11回公判。原検事、死刑を求刑。
3.11 第12回公判。内田裁判長、死刑判決。石川さん、看守にからかわれ「俺はバカじゃない」と翌日控訴。東京拘置所に移送。
9.10 第ニ審第1回公判(東京高裁)。石川さん、入間郡水平社荻原佑介に励まされ、善枝さん殺しを一転否認、無実を訴える。
1970.5.18 石川さんの無実を訴え「部落解放国民大行動」。世論動く。
1974.9.26 石川さんの無実を訴え日比谷公園に全国から11万人が結集。
1974.10.31 東京高裁(寺尾正二裁判長)無期懲役判決(寺尾判決)。「これはペテンだ!」と山上弁護人叫ぶ。千葉刑務所に収監される。最高裁へ即日上告。
1977.8.9 最高裁第二小法廷(吉田豊裁判長)口頭弁論もおこなわず上告棄却。無期懲役確定。
8.30 東京高裁に第一次再審請求。
1980.2.5 東京高裁第四刑事部(四ツ谷裁判長)再審請求棄却決定。
2.12 東京高裁へ異議申し立て。
1981.3.23 東京高裁第五刑事部(荒関裁判長)事実調べを一切おこなわず異議申立棄却
3.30 最高裁へ特別抗告。
7. 東京高検が証拠開示(小名木証言など重要な新証拠発見)。
1985.5.27 最高裁第二小法廷が特別抗告棄却。
1986.8.21 東京高裁に第二次再審請求。
1988.9.2 東京高検が芋穴のルミノール反応検査報告書を証拠開示。芋穴に血痕はなかったことが判明。その他の証拠開示は拒否。
1991.8.20 全国の81人の法学者が事実調べを求める署名を提出。
1992.7.7 元刑事の新証言(「家宅捜索時に鴨居に万年筆はなかった」)が明らかに。
1994.12.21 石川一雄さん仮出獄。31年7カ月ぶりに故郷の土をふむ。
1996.12.21 支援者早智子さんと結婚。
1998.10.28〜29 ジュネーブの国際人権規約委員会で狭山事件の証拠開示について質問。
11.6 国際人権<自由権>規約委員会が最終見解で「弁護側がすべての証拠にアクセスできるよう法律および実務を改めること」を勧告。
12. 狭山現地に石川さん宅お勝手・カモイが復元。弁護団は東京高裁に現場検証を要求。
1999.3.23 弁護団が東京高検の検察官と証拠開示について折衝。証拠リストおよび未開示証拠が多数存在することを確認。
6.10 東京高裁に齋藤鑑定提出。
7.9 東京高裁第四刑事部・高木俊夫裁判長が再審請求を棄却。
7.12 弁護団が東京高裁に異議申立書を提出。
2000.3.3 弁護団が東京高検の麻生検事と証拠開示の折衝。未開示証拠は(積み上げれば)2〜3メートルぐらいと述べる。
3.31 弁護団が東京高裁第五刑事部・高橋省吾裁判長と面会。異議申立補充書、新証拠を提出。
4.1 東京高検の担当検事が麻生検事から松本検事に。
6.28 弁護団が東京高検の江幡検事と折衝。(6月に担当検事が松本検事から江幡検事にまた交代)
8.2 高橋省吾裁判長と面会。9月末には狭山再審弁護団新証拠を提出。
9.26 狭山弁護団が新鑑定提出へ。
10.31 狭山事件の再審を求める中央集会(日比谷野外音楽堂)。
2001.2.13 東京高検の担当検事が交代(江幡検事→杉本一重検事 會田検事以来7人目)。
10.31 狭山事件の再審を求める中央集会(日比谷野外音楽堂)。
2002.1.23 東京高等裁判所刑事第5部の高橋省吾裁判長再審棄却決定。
1.29 「東京高裁の棄却決定は到底納得できない」として、最高裁に特別抗告。
2003.5.23 5・23不当逮捕40ヶ年糾弾中央総決起集会(日比谷野外音楽堂)。
9.30 特別抗告補充書提出(最高裁第一小法廷)。
12.10 狭山裁判主任弁護人山上益朗氏ご逝去(74)。中山武敏氏主任弁護人となる。
2004.3.23 故山上益朗氏の遺志を受けつぎ補充書提出。



(個人年表)
1939年1月14日 石川一雄さん 生まれる
1994.12.21 石川さん 31年7カ月ぶりに故郷の土をふむ。
1996.12.21 石川さん 支援者早智子さんと結婚。
2003年6月4日 石川さんの義母シヨ子さん亡くなる
200○年○月○日 石川さん 再審無罪の報告を兼ねて亡き父母の墓参りに行く





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2004年5月1日埼玉新聞には
狭山事件の記事が大きく掲載されたようです。

2004年「5.23中央集会」が5月26日発刊の『埼玉新聞』の一面に掲載されました。








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