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2003年01月23日(木) 森田益子さん 議会でこき下ろす��

☆平成十二年 
不十分極まりない仕事保障へも 一般住民から 誹謗中傷があることに対して

しかし、仕事保障でございますが、全く具体性がない。例えば私は、この高知公園は昭和二十四年失業対策事業が行われて、それ以来半世紀、ちょうど半世紀、五十年有余、同和地区の者があそこの清掃をさせていただきました。饗宴乱舞、花見の真っ盛りにも、あの残飯を集めたり、そしてあのちりを集めたり、屈辱的なと思われるぐらいしんどい仕事でございましたけれども、甘んじて五十年、半世紀やらせてもらいました。それから、果樹試験場のあの何町歩もある農作業もお手伝いさせてもらいました。それから、時には溝の掃除も……。一般の人から見れば失対へ一族の中で入ったということが屈辱きわまりないような感覚があったときに、同和地区の人はあの失業対策事業の手帳をもらったとき、私を含めどれだけの安定した喜びを感じたことか。いわば一般の人にとったら一番恥ずかしい状態が、同和地区の私たちにとったら最上の喜びでございました。
 そして、本当に屈辱的なと思われるあの公園の掃除もさしてもらいましたが、失業対策事業が一応終止符を打たれるや否や、その前後から一般の企業に競争入札でやる。市場主義の原理に基づいておるとは思いますけれども、半世紀にわたって私たちにさせてくれた仕事は、そういう状態。そして、緊急雇用対策も行われましたけれども、あなたたちのあの商工労働部の態度、これはこの場で言うもいまいましいような態度を終始されました。これは、それぞれが胸に手を当てたらわかると思います。私は、もう思い余って知事に直訴さえしましたね。
 本当に仕事保障を、底辺の人の仕事保障をと思うときに、そのときでも、最初は、持ってきたのは上部機関へ対して企業を紹介してくれというものでした。そして、その企業が受けたのを丸投げしてもろうたら違法です、明らかに。それが一貫した商工労働部の私たちに対する仕打ちだったように思われてなりません。本当に、緊急雇用対策でも、高知市あたりはかなり本当の意味での緊急雇用、底辺の人の緊急雇用に多くの金を使っていただきました。そらあ県がむだ遣いをしたとは言いません。けれども、そこらあたりは私は本当に欠落しておると思います。
 そして、私は第一問で質問し抜かっておりましたが、ヘルパーの労働条件です。この間も、大学のシンポジウムでどっかの施設長さんが言われたときに、ヘルパーはたった一割ぐらいが常用雇いでしょうと、あとは全部と言うてえいぐらい登録ヘルパー。しかも、時給八百円というのが業界の相場のように聞きます。それで本当にそんな労働賃金でお年寄りの人権を守る、お年寄りを本当に心から優しく、そしてしかもこのヘルパーの仕事が天職に、私は死ぬるまで、あるいは体の続く限りお年寄りのお世話をしたいという気持ちがわいてくるでしょうか。そのことをこの前の新聞も、厚生省と労働省とが速やかな実態調査が必要だという新聞を見ました。ああ、省の方もお気づきになったなと思うた。
 ところが、まだ現時点でもあなたのところは掌握をしていない。大変驚きました。なかなか業者がその実態は言ってくれない。けれども、私はあなたのところの課長さんが来てもいつでも明らかにその実態を見せ、賃金の実態もボーナスの実態も退職引当金までつけゆうという実態をお見せして、納得してもらったと思います。私はそのときでも、モード・アバンセの社長が、これは高橋さん、聞いちょってもらいたい。八十五万円もの理事長手当を取りゆうかと思うたら、労働者には日に五千円ぐらいの支給しかしていない。そういうのが本当の仕事保障になったのか。私は、本当にそういう人たちの仕事保障をするということは、働かぬ者はめっそう取ったらいかぬと思うちょります。
 私はこの前にも言いましたように、介護保険のやさしいグループの理事長です。ただの一銭も理事長手当はいただいておりません。働く者、ヘルパーについては、私は日本一の優遇措置をとったと思うています。年末手当も出します、退職引当金も入れます。こういう指導をあなた方がされぬところに、物の考え方がややもすると企業一辺倒になっちゅう。大体、福祉でそれほど金をもうける企業にろくなものはないと思うちょります、私は。福祉は福祉の精神を徹頭徹尾持つべきだというのが私たちの本当の願いです。その点では、あなたに問うても、これは恐らく調べていないということですので言い捨てで終わりますけれども、早急に調査をしていただきたいということをお願いして二問を終わります。

☆平成十三年
同和事業、解放同盟の取り組みが県全体を潤している事実を見ようとしない日本共産党に対して

それから、ある一部の人たちは、この間の臨時議会でも、部落解放同盟があたかも百害あって一利ないようなことをこの場でも言われました。私はね、涙が出るぐらい腹立たしさを感じました。昭和36年でした、思い浮かべたら。その前から同和対策審議会の設置を国会では決められながらも、委員すら出されませんでしたが、昭和36年、台風の中を西は大月の果てから東は東洋町の果てから、今のように車ではございません、一歩一歩歩いて、そして請願、陳情をやりました。その年にようやく国は同和対策審議会の委員を任命してくれました。それから4年の歳月をかけてようやく答申が出された。そしてまた4年かかって特別措置法が出された。
 そして、昭和44年から平成11年まででも、県下に5,380億円という国からの事業がおりてきました。皆さん御承知のとおり、高知県の経済は公共事業依存型の経済が大きく左右してきたと思っています。この5,300億円、それで県は405億円、市町村が133億円の負担しか要っていない。このことがどれほど高知県の景気を浮上させたか、それから公共の財産をどれほどつくったか。私はね、高知市でございますけれども、1,400億円といういろいろな事業がありました。悲しいかな土建業は小さい土建業がだんだんありますけれども、建築屋さんというのはたった1人しか指名を受けるような建築屋さんはいません。土建業は土方の経験にのっとって小さい請負を始めたでしょう。けれども、建築となるとそうはいきません。だから、建築でもうけたという人は1人もおらんわけです。景気浮上にどんなにつながってきたか、私はこれは知事に見解を聞きたい。今度のがでね、これほどの差別を拡大していった。私は、あなたならもう少し価値のある見解も出してほしかったと思います。
 それから私はね、見直すときにもあなたに直訴をしました。そしたら、あなたは「本当に、そんな経過を聞くことも、そんな詳しい実情を聞くことも今回が初めてです。本当にありがとうございました」と言われました。私は感激しました、あなたにありがとうございましたと頭を下げていただいて、「たびたび来てこんな事情を話してください」と。それからまだもう一度、私たちの老人が会いたい、300人ぐらいがあなたに陳情したいと言うたときも快くうちの隣保館へ出てきてくれて、そのときに刻々そのお年寄りたちは自分たちの差別の貧乏の中での苦しい生活実態を訴えました。年金のないことも訴えました。その当時の日本共産党は国民年金を掛けることに絶対組織的反対だったがゆえに、全日労に所属されている人の大半は、八、九割までは年金を掛けませんでした。そのことを訴えると、「僕は年金が部落のお年寄りにないということを、今初めて知りました」とあなたはおっしゃった。そんな生活の苦しい中でも、私たちは人間の血を引き裂かれるような差別を受けても、人間としてとうとい解放運動を一貫してやってきたと思う。
 一部の人に不心得があった。私はね、私の四十四、五年の解放同盟の専従になってからでも、私の組織でも、その今言われゆう人たちの党籍を持った人が物すごい不正をしました。これは事実です。そのときは党籍を持ったまま、ある議会の議長になりました。それがでかでかとその新聞、機関紙に出されました。けれども多額の横領をして、そのときの村長がうちの事務所へ来て、「あの子は吸血児だ。おらの血を死ぬまで吸い抜かれるので、おらも覚悟をした。だから、あれとおらと刺し違える。おらも入ることを覚悟だ」と言いました。そのとき、小路貞次郎さんがちょっと話してみるきにということで話しました。それで、やがてその人は追放されていきました。こんな人が県下に私が知ったばあでも5人おります。だから、幾ら−−−−−であっても神様でない限り、金やいろいろな誘惑はあったことを私は知っております。確かにうちの中でも、そういう一部の人たちが出たのも承知をしております。あたかもそれが解放運動全体が人類に害を及ぼすようなことをされたけれども、それでもあなたを高く評価する。私は、これはだれのための見直しかと疑いたいぐらい腹立たしさを感じてなりません。差別事件もそうやって後を絶ちません。
 それから、これは去年のことです。私に手紙が来ました。これははがきでしたけれども、小さい字だったので拡大しました。「前略 酷暑の折、森田先生におかれましては、ますますの御活躍と存じます。先日も先生御推薦の方に投票いたしました。さて、本日お手紙させていただきましたのは、結婚における出身地差別を受けたからです。相手は安芸市に住む公立小学校の」だれだれ教師とはっきり書いてございます、「という人です。何でも安芸市では◯◯家は名家であり、よつの血は入れんと両親も言われているそうですが、このお父さんという方も公立校の校長会の方だった」という手紙が来ました。これ全部読み上げると時間かかりますけれども、私はそういうことを知事はどうお考えになっておるか。
 これほどの5,380億円、道路もふえました、公共の建物も建ちました。私はね、この運動の核になったのは、自信を持って言えるのは、部落解放同盟が核でした。それから皆さんね、行政6団体の方たちの同意も得、あるいは共闘の皆さんのお力添えもしながら、最後まで反対をされたのは共産党の皆さんでしたけれども、私たちは懸命にこの制度をつくり上げた。私はその見解についても、解放同盟に対する評価も改めてあなたに聞きたい。私はこんなことを言われたらね、これはまこと大変ですよ。こればっかり言いよったち長うなりますけんど……。

☆チャイちゃんメールからも!

・・・そしてその後の道徳の時間に、同和問題とは別に、人の嫌がる仕事をしている人は立派である理由を教えられました。「この方がおられないとゴミはどうなりますか。トイレはどんな状態になりますか」に始まり、最後は子どもがそれぞれ、親の職業を誇らしげに宣言して終わりました。出だしなどは私はちっとも記憶にないのです。つまり意図するところがわからなかったからでしょう。当時の私の心境としては、そういう立派な方を知らないし、親戚も従事していないし、両親には医者になるように言われているし・・・といった感じでパニックに陥りました。そして、自分も嫌がる事をできる人になって、立派な人と言われたいと偏った考えを持ちました。
そして、今思えばあの時発言した子どもはみな同和地区出身者だったと思うのです。学習会に行っていたという理由でそう判断しているわけですが。私があの頃にもし帰れたら、「他の職業に従事したらすばらしくないのか!他の職のすごいところも話し合えよ!その中の職でないと話が違うだろ!」と言いたいです。

☆以下は ちゃいチャンに調べてもろうた

平成12年  6月 定例会(第256回)-07月04日−03号
P.84 ◆ 三十三番(森田益子君)
下のほう
同和地区のそういう劣悪な貧乏な家の女の子に生まれろうと思う自分の意思はこれっぽっ
ちも働いておりません。それが現実に失業対策事業、高知県下で六千人も行きよりまし
た。そのうちの九割までが同和地区の人でしたよ。そのまた八割から九割までが女でし
た。
 私も二十五年間そこで、高知公園のあの観光の目玉であるところで、みんなが饗宴乱舞
と戯れる中で清掃もしました。そして、道路の清掃もしました。そのときに、一般の人も
多少はまじりましたが、それは一族の中で恥のような感覚でした。しかし、私たちは失業
対策事業に入ったことが、生まれて初めて安定した仕事でした。しかも、その失業対策事
業にも、主たる家計の担当者でなければ入れない。部落のように一度もまともな就職をし
たことのない慢性失業者は、本法による失業者とは認定してもらえませんでしたよ。だか
ら、他から見たら非常に部落の人はすこい−−土佐弁では言うたらへらこいというから、
と思われたでしょう。私は夫を肺結核じゃというてだまして入りました。そして家出をし
たという人もありました。それから偽装離婚さえしました。そうやってでも就業せざるを
得なかった。この実態を知っちょったら、私はこれを、日本の今のこれほど経済的にも豊
かになって、たくさんの公的資金をそんな要らぬところへつぎ込む金があるなら、私はあ
なた方がなぜもっと強力にこの谷間の人たちに目を向けていただけないであろうか。

平成12年  6月 定例会(第256回)-07月04日−03号
P.76 ◆ 三十三番(森田益子君)2/3のとこほど
私は「ふくしステーションやさしいグループ」という法人組織をつくりました。名に恥じ
ないような人権、福祉を大事にする優しい事業所として新たに参入しました。そして、今
一生懸命……。それには単にヘルパーをボランティア的に扱う、ほとんどの業者は一時間
八百円ぐらいの低賃金で使っておるようですけれども

略

最後

 私は、時にはあんたんくの課長にも言いました。ペナルティーをかけられればかけてみ
なさいと。私は不当な金を取ってペナルティーをかけられるがと違いますよと。うちの一
割に近いもうけを、私たちの犠牲でいわばともに助け合うという、決して私は理事長手当
十円ももらいやあせぬきにね。経営ができます。一般の八兆円をなんなんとする福祉産業
を金もうけとして参入した人たちとは違います。けれども、社会福祉法人には特別の恩典
がありますね。社協でさえ、介護保険は引き合いに合わぬからというて撤退しましたね。
だんだん撤退したところがある。それをあえて解放運動の観点で人権と福祉を守るために
は、あなたが常々言われる改革じゃと思うちょります、私は運動の改革じゃと思うちょり
ます。行政への依存から、自力自闘で創造して新たな解放運動へ私は入っていったと、こ
んなにみずから自負をしております。
 だから、もうけは度外視です。とにかくお年寄りを大事にしてほしい。それかといっ
て、ヘルパーも優良なヘルパーを育成しようと思えば、安賃じゃ使えません。もちろん、
ボーナスも出さないけません。年休も与えないけません。そうでしょう。けれども、やれ
ます、事業体が利潤を追求しなかったら。その理解ができぬ、その県のあり方、やみ金融
ではこれほど批難ごうごうと出るのを、一般対策だったら私はこればあ怒りませんぜよ
と。おまさんが好きなように貸したらえい。けれど、それもそうはいかぬ、おまさんの銭
を貸すがじゃないき、県民が納めた税金です。そうでしょう。けれども、私はほかの人よ
りも腹が立つのは、同和問題の解決としてあの金を貸したと言われるがに腹が立つがで
す。それは新聞記者が言うとおり、何があれが同和対策ならと。そうでしょう。今南国に
中国の人か知らぬが十七名おるばあ、佐賀なんかでも四十人の中で同和地区の人はたった
四名しかおりませんよ。私は怒りに燃えておれぬ。
 そして、私たちが本当の解放運動として介護保険へ入った。けれども、そうでしょう。
あなたとは直接関係がないとしても、この高齢者時代を食い物にした厚生省の事務次官も
おったでしょう、岡光さんも。彩グループと結託して不正きわまりないことをして、つい
にお縄をちょうだいされたでしょう。けれど、それとは違う。私はむしろ知事の言われ
る、行政に依拠する同和行政から、やっぱり自分たちが努力をせないかぬ。それで、あな
たちょいちょい言われますね、私はそれを肝に銘じてこの道へ入った。だから、くどいよ
うなけれど、あなたに今回は、私は原稿も何も書きません。その点では信頼をしているか
らこそ、部長にも聞かぬ。あなたにお聞きをしたい。
 それから、女の部長が初めて、高知県政始まって初めてでしょう。めっそう女子同士で
あの人をしでるも忍びないきに、おまさんには、なかなかどう言うたち切り戻し、どう言
うたち切り戻しする能力を持っちゅうき、ほんであえて知事一人に質問を集中しました。



平成13年 12月 定例会(第264回)-12月14日−03号
P.93 ◆ 33番(森田益子君)
なかほどかな

昭和24年に緊急失業対策法という法律・・・
私はその早々から失業者として認定されて、失業対策事業で働きました。二十何年間働き
ました。そのときの矛盾は、部落のように慢性的な失業者、一度も定職についたことのな
い失業者は本法による失業者ではないという規定がございました。だから、それぞれ知恵
を働かせて偽装離婚して入った人もありますし、私は愛した夫と離婚というわけにはいか
んので、病気と偽って入ることができました。けれども、今度の場合でも、私はその担当
課長に「その認定というのはどうするぞね」と。「それに困っちょります。非常に厳しい
内示のようです。それらの安定所へ行く以外にないろう。安定所はパンクします」。



 私たちの解放も もっと攻撃的に 今年こそは




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