| 2001年03月27日(火) |
ミキ・ママの部落問題2000 |
「部落問題」で検索してここを 訪れた方はのっけから「ダブル」だの「ダブルっち」だの聞き慣れない言葉の 羅列で混乱されたでしょうごめんごめん。二十歳前後にとても差別とたたかっていた 部落内外の夫婦間に子どもができたので親の目から見ればこの子は二人分のたたかいの文化を受け継いだ子「ダブルっち」・・・・・・・それはともかく同じように部落差別に反対する人と一日一度はまた 部落問題のお話がしたくなってタイトルは「ダブルっち ダブルっち」と幼児的ではありますがミキ・ママの"手作り部落問題HP"をこれからもどうぞよろしく(2000) *HN「ひめだるま」に改姓(2002.09.05)
ワタシの上の年代に、部落外で部落に骨を埋める人生を選択した方々が何人かいます。それを選択したところで、部落のために人生を棒にふるなんてと思う人は、自分の親を含め半分以上いますし、人権問題をまじめに考える人の少ないこの国ではなおさら、それがいいことなのかどうかわからなくなります。でも、ワタシはその方たちが好きなのです。そういう、ひとから理解されにくい人生を自ら選択をした人たちは、影を感じさせるようなことは言わない、部落問題を明るく語られるから、やはり好きなのだと思います。
それから、そういう人たちは「人の役に立つことをしたかったから」ではなく、最初から「当たり前のことをしたかったから」と言って入ってきています。ある人は上回生が四月に、天王寺の歩道橋で「○○大学部落研」のゼッケンを付けてビラまきをしていたとき(今から二五〜三〇年前はそれほど珍しい光景ではなかったのです)、入学式を済ませたばかりでまだ部員でもないのに、いきなり「私も手伝います」と言ってビラまきを始めたそうです。 ワタシなどのボーっとした人間は、約一年くらい部落問題と関わってみて、年度末の「なぜ部落問題を選んだのか」の文集作りのために、初めて振り返るのです。すべて手作業でした。 そこに書かれていた内容は不思議といまだに忘れないのです。 ある部落外の学生は、母親が病弱なため、受験勉強と家事、妹、弟の世話の両立を迫られ、そんな苦労がない(かに見える)クラスメートを心の奥で嘲笑している自分を、とても差別的だと感じ、そんな自分を変えたかったと書いていました。 別の、これも部落外の学生ですが、付き合っている人から「親の仕事が行き詰まって学校を辞めなければならない」と打ち明けられた時に自分は「大げさに言うな」と一喝しただけでしたが、相手は本当に退学してしまい、学校の勉強ばかりしていて世間知らずで来て、悩んでいる人の気持ちもわからない人間になっていた自分がすっかり嫌いになっていたことを書いていました。 部落出身の学生は、高校の同和教育の授業でカムアウトして、以後、学習会の内容は彼にまかされるようになったのはいいのだけれど、生徒の何人かが「先生のよりも面白い」という感想を書いたのをきかけに、担任の先生の目が変わり、彼の通信簿の成績を下げるようになったという経験をして「つぶれて」学習会から手を引き、一時は退学を決意したけれども、浪人して大学へ入り、このままでは自信を失ったまま一生を送ることになるからと、大学の部落問題論の授業で再度カムアウトして現在に至ることを書いていました。 もう一人、ある部落出身学生は、自分は被差別体験もなく、親友が差別を受けて悩んでいたので、地域の高校生友の会に足を運び、指導者に言われたので会長をつとめ、いろんなところでリーダーシップも発揮してきたにも関わらず、温室を一歩出たら、自分も差別されるかもしれない、そのとき親友のように立ち直れる自信がない自分を 親友に対してでも隠していた人間だったことなどを書いていました。 ワタシは「なぜ部落問題を選んだのか」は、部落も部落外もお互いに「自尊感情を失わないために」だったなあと思います。そのために、当たり前のことをして。当たり前のことができる人間になって。 ご参考までにと書き始めたら、大変長くなってしまいました。お許しを(笑)。
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