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天竜



 漆黒の翼

探偵がいる。
鳶色の眸はいつも以上に透明感を持ち、まるで人形のように虚空を見つめている。厳かな歴史を語るソファにその躰を委ね、長い足を組み、私を待ち受けていた。
「遅いぞ京極!」
その口調だけが、いつもの榎木津だった。違和感は拭えない。盲目の探偵。彼の目に映るべき自分の姿が拒絶されているのだと思うと、私自身の存在が足元から揺らぐ。
「……目の具合はどうだい?」
ありきたりな言葉しか投げかけることが出来ない自分が口惜しい。何のために有り余るほどの虚言を身に付けてきたのか。
「真っ暗闇だ! おまけにいやらしいものばかりが視えるんだ。誰が誰で、猿がどこにいて、鶴と鸚鵡がどうやって鳴いているのかも区別がつかないぞ京極どうにかしろ!」
「里村先生にもご足労頂いた。司法解剖が終わったら榎さんも診てくれるよ」
そう言うと、榎木津はあきらかに不機嫌な顔になった。眸は真っ直ぐに私を見据える。視えているのか。見えていないのか。
「おいで」
まるで子供にでも声を掛けるように、榎木津が手招きする。私は躊躇う。
「なんだ、恐いのか京極」
気配を察し、榎木津がふふんと鼻を鳴らす。

―――恐い? 私は盲目の探偵を恐れているのか?

「関口が……」
私を呼寄せたのだ。偶然という付加を背負い、あの小説家が私を呼んだ。だから、鳥の館まで憑物を落としにやってきたのだ。黒い両翼を広げた哀しき鳥を消すために。榎木津がいようがいまいが関係なかった。この男は、私の力を必要となどしていない。例え視力を失っても、彼の前に問題など何ひとつ存在しない。
恐くなどない。何も、畏れてなどいない。
「意固地だな京極。僕は見えないんだぞ。お前のその仏頂面も、腕も、足も、腰も尻も何ひとつ見えないんだ。それでいいのか?」
「僕には――仕事がある。榎さんの相手はしてられないよ」
「じゃあ僕がもうひとつお前に仕事を与えてやろう!」
榎木津はそう言うと、勢いよくソファから立ち上がった。そしてずかずかと大股で歩み寄ると、迷うことなく私の前に立つ。視えているのか、見えていないのか――。
「京極、この役立たずな眼球を刳り抜いてくれ」
「何を言ってるんだ」
「死んだものを装飾品として身に付けておくほど僕はお人好しじゃない。ほら、見てみろ。この目はイカれてる。見えないんだ。お前の顔さえ映さないんだ。そんなイカレポンチはゴミ箱へポイだ!」
「そういう問題じゃないだろ。一時的なものさ。きちんと治療してもらえば治る」
「そんなことはどうでもいい。僕は、今お前の顔を見せてくれないこの目玉に腹を立てているんだ! お役御免だ! 猿にでも禿鷹にでもくれてやればいい」
「投げやりになるなよ榎さん」
「なるさ、僕は見たいんだ。お前の顔が」
榎木津の両手が、私の頬を包み込む。熱い手だ。足が竦む。本当は恐かった。榎木津が視力を失ったと聞いて、私は恐ろしくてたまらなかった。二度と榎木津と視線を絡ませることもできず、吸い寄せられるように口付けることもできず、愛しいと訴えてくる鳶色を感じられなくなる瞬間が来る事に怯えていたのだ。
見つめ合ったはずの視線は僅かにぶれ、心が見えない。
「見えないよ榎さん。僕にも、あんたの顔が見えない」
「ふん、お互い様だ」
引き寄せられ、口付けられた。口端に押し当てられた榎木津の顔をずらし、いつもの位置で唇を貪る。榎木津の手が袖から侵入し、裸の腕に触れた。
「帰ったら、目を開けたまま啼かせてやる」
「その前に壊れたガラクタを治せ。僕のために」
榎木津の唇が下りてきて、首筋に押し当てられた。小さく息を吐き、刹那の快楽を味わう。

「―――あの、皆様お集まりになっておりますが……」

控え目な声とともに、漆黒の翼が二人を包み込んだ。
ゲームは、これからだ。


2003年08月12日(火)
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