たりたの日記
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2015年12月24日(木) 太陽礼拝108回と深夜ミサ

今年のクリスマスイブは2つの新しいことをした。
ひとつはヨガのスーリヤナマスカーラ(太陽礼拝)を108回通して行ったこと、もうひとつは 東久留米の聖クレゴリオの家の降誕祭深夜のミサに参加したこと。

この1年間のテーマがヨガとグレゴリオ聖歌であってみれば、良い締めくくり、キリスト教の暦で言えば、新しく始まる1年の良いスタートだったと言える。

正直、108回の太陽礼拝は自信がなかった。これまで5回くらいしか続けてやったことはないし、その5回も結構きついなと感じていたからだ。ところが、昨年、町田インストラクターのこのイベントに参加したヨガ仲間たちは、何とかやれるものよと言う。その中には72歳の女性もいる。ならば、わたしもと挑戦してみたのだ。曲がりなりにもヨガインストラクターとしてのお仕事もしているわけだから、やらないわけにはいかないでしょう。

今回は60分という時間設定だったので、最初のウォーミングアップや説明と最後のストレッチなどを除いた50分ほどの時間、11のアーサナを1クールとする太陽礼拝を108回行った。
どういうわけか、一度も疲れた、きつい、という感覚はなかった。回数が進むほど、瞑想が深まり、静けさと心地よさの中で108回目を迎え、もっと続けていたいという気持ちだった。
ヨガは身体で行う祈り・・・その通りだと思った。わたしとしては、クリスマスイブにふさわしい祈りの時間だった。


このヨガのイベントは4時から5時までだったので、ジム風呂に入った後、6時すぎ、夫の車で東久留米へ向かう、途中夕食をし、時間調整のために日帰り温泉でゆっくり過ごし、深夜のミサへ。
どうしてもこのミサに参加したいと思ったのは、この時歌われるグレゴリオ聖歌が、わたしが最も好きで33歳の時から30年近く聞いてきたCDの曲だということを知ったからだ。
グレゴリオ聖歌入門のクラスで、この聖歌を歌った時には驚きと感激で胸がいっぱいになった。何の聖歌なのか、何がそのラテン語の歌詞にこめられているのか、知ることもなく、聴き続けていた歌の言葉が旋律の形がそこにあったからだ。
楽譜というのはおもしろい。それを読むことで、自分自身でそれを音に置き換える作業ができる。昔の修道士たちは、耳で聴き、それを覚えて歌っていたのだろうが、わたしにそれはできない。ところが、文字が譜がそこにあれば、その音楽が或る意味、我がものとなるのである。
そういう意味で、詩の意味を味わい、音の高低を表した四線譜の四角い音符を追いながら、たどだどしくはあっても自分で歌えることがとてもうれしかった。

深夜のミサの後、夜中の3時過ぎ帰宅。


たりたくみ |MAILHomePage

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