たりたの日記
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今年の1月14日を最後に、ぱったりと日記が途絶えていた。 11か月振りにここを開く気になったことに特別な理由はない。 寝る前に少し時間があって、他にすべきことはあったも、今はやりたくなく、本も音楽もこの時間にしっくりこなかったからだ。
毎度、ここを留守にして戻ってくる度に思うことなのだけれど、なぜ、かつては日課のように書いてきたのに、さっぱり書かなくなったのだろう、いえ、書かずにいられるのだろうということ。 で、またなぜ、その縛りが解かれたかのように、書いていた頃のモードが今やってきているのだろうということ。 書かないでいることと、書くということの間には心の変化があるのに違いないが、それが何かが分からない。
さて、この1年あまり、いろいろなことがあった。大きくエネルギーを投入したことは2つ。
ひとつは、二つのヨガ指導者養成コースを受講し、6月に試験やプレゼンなどの課題を終え、指導者の資格をいただくに至ったこと。 ここに至るまでは、近くの公園にヨガマットを持っていっては練習に励んだ。ブリッジやサーランバ・シールシャーサナ(三点倒立)の練習は、外の方が気合が入り、集中度が増す。パブリックに自分を晒しているという緊張感からか、あるいは周囲の高く、美しい木立に解放感や喜びを感じるからか。 せっかく資格を手にしたのだからとすぐに、近くの保育園のホールで月1〜月2、区民会館で月2回のヨガクラスを始めた。指導するためには勉強や練習、加えてヨギーニとしての自覚が要求される。何より自分自身にとってのよいトレーニングの場だ。
もうひとつは、11月14日のリコーダーと朗読のライブ。ファン・エイクの「笛の楽園」からソプラノリコーダーのソロ曲を3曲。2曲をリコーダーアンサンブルのパートナーのJunkoさんとのデユオで。後半はアルトリコーダーのデュオでイギリスの民謡を朗読と共にというもの。自由が丘にあるイギリス風カフェ、メイフィールドの恒例の秋のコンサートをお引き受けすることになり、組んだプログラム。
これまで、知り合いのカフェや老健施設で演奏してきたけれど、お金をいただくような演奏は初めてのこと。そのプレッシャーはかなりのものがあり、6月から5カ月ほどは、何をさておき、練習という日常だった。一人で、またJunkoさんといっしょに、度々、あちらこちらのカラオケ屋に篭り練習した。プロの演奏者の教えを請うべく、遠くまでレッスンに出かけた。 しかしいくら練習をしても、人前だと緊張し、まちがえる。ここは自分の中心を保ちぶれないようにする、ヨガ力を高める訓練を積むしかない。時間があれば公園でヨガの練習をした後、林の中でリコーダーを吹くという日々。ある意味、差し迫っていたから周囲の目は気にかけなかったけれど、傍から見れば、ずいぶん変わったことをしている人がいるものだとあきれられるようなことだったのかもしれない。
ともあれ、"ヨガ力"はリコーダーの練習でも鍛えられ、またヨガの練習がそのままリコーダー演奏に深く影響を及ぼすような気がしこの二つの課題はそれぞれによよい影響をもたらしたように思う。瞑想の時間を努めて持とうとしたことも"ヨガ力"を養い、リコーダーの演奏力を高めたいという願いがその向こう側にあった。 そして瞑想は、目の前の課題に翻弄されるのではなく、魂を命の源へと繋ぐ(このことがそもその、繋ぐという意味を語源に持つ、ヨガの目的なのだが)というところへわたしを戻してくれた。 ヨーガスートラの初めの教え 、 「心の作用を止滅することが、ヨーガである」
そうか、書けなかった大きな理由は、この二つの課題を抱えていたからだったかもしれない。 書くことは自分の中心と繋がることであってみれば、それに代わるものがあったからということなのかも知れない。 とすれば、今後、書くという行為はどうなっていくのだろう。
さて、時計は12時を回ってしまった。明日早朝の瞑想ウォーキングをするつもりなら、もう寝なくては。 朝6時半に焼ける予定のパン。パン焼き機が仕事を開始した。
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