たりたの日記
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先ほどのこと、この日記の長い間の読者でいて下さる、北海道にお住まいの晶子さんとお電話でお話した。
晶子さんからのお便りだと、ここのブログが開けなくなったということだった。こちらにその原因があるとは思わず、確かめることさえ怠っていたのだが、どうしたきっかけからか、HP「たりたガーデン」がおかしな具合になっていたのだった。今日気が付き、さっそく管理人である夫に修復してもらった。
で、ちょうど今日は晶子さんのお誕生日なのでお電話をしたのだった。お会いしたことはないのに、ここの日記を最初の頃からずっと読んでくださっているので、わたしのあれやこれや、家族のあれやこれやを心に留めてくださっている。こうして読んでいただけるということ、なんという幸福なことだろうと、改めて思った。
さて話題は変わるがここ数日間、我が身に起きていること。 少し前の日記に、日記がさぼりがちになったのは、早朝ウォーキングとヨガ熱、そしてリコーダー熱にその理由があると書いた。ところが今週の月曜日の夜中、ベッドに入ろうとした途端にいきなり膝、および左足全体に激痛。曲げることも伸ばすこともままならず朝を迎え、整形外科へ。もともと変形性膝関節症という病名をもらっていたのだが、なんらかの炎症が起きているらしい。 関節に軟骨の剥離したもの(関節ネズミという俗称があるらしいが)の挟まることがあり、そうなると関節が曲がらなかったり、痛みが起こったりするというので年明けにMRIの予約を取った。
思えば、この症状が出る1週間前から膝には違和感を感じていて、歩く時は久々に膝ベルトを付けて歩いたりしていたのだ。にもかかわらず、その日、ヨガを2本やった。かなりハードはポーズがあったが、自分の力を試したい、ここで出来ないのはみっともないという気持ちに煽られていた。膝の具合が悪いことを無視するという間違った行為に及んだ、その結果だ。
幸い、注射と痛み止めの薬のお陰で、激痛は治まったものの、膝全体に重い違和感があり、何か爆弾を抱えているような不気味な感じ。あの硬直と激痛には見舞われたくないので、早朝のウォーキングもジムでのヨガも、少なくとも検査の結果がでるまでは休もうと思っている。
しかし、早朝ウォークングもヨガも、単にスポーツというのではなく、わたし自身の心の状態を整えるのに大きく貢献していたので、パタリとそれを止めてしまうとなんだか調子がでないのである。一言で言えば、エネルギーがダウンしている。思考がネガティブになっている。感情面でバランスを欠いている。
今学んでいるニケタンのヨガ療法で言えば、感情のコントロールを司る理知鞘の乱れが意思鞘に影響を及ぼし、生気鞘が司る呼吸に乱れを生じさせ、肉体であるところの食物鞘に、倦怠感を生じさせているということなのだろうか。これをほおっておくと、肉体へのストレスが高まり、なにがしかの心身症を形成していくのかもしれない。
身体を思うように動かせなくても、呼吸法や瞑想、祈りやこうして文章を書くという行為を通して、心の内に平安を保つことはできるはず。そもそもヨガ療法とはそこに意味があったのではないかとこれを書きつつ思い至る。 膝を痛めたから、思うように身体を動かさないから鬱々とするのではなく、身体を動かせない状態でどのように自分自身にエネルギーを送り込むか、今はそれを学ぶ良い機会であるはず。
外へ外へと向いていた意識を自分の中心へと集めることも、身体が動かせないからこそできることなのだろう。 そう、今はアドベントの時だった。英語教室のクリスマスクラスが終わり、教会のクリスマス礼拝が今日終わったので、もうクリスマスは終わった気分でいたけれど、クリスマスを待つというアドベントの時。
朝日の中を歩くということはできなくても、朝日に顔を向けることはできる。ハードなアーサナを組むことはできなくても呼吸法や瞑想はできる。 心に湧くき起こるわだかまりや心配ごとをひとつひとつ外していく作業を積極的にやっていこう。
年末の大掃除もあるけれどね。 まずは心のね。
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