たりたの日記
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ずいぶん長い間、調整を怠り、弾けなくなっているヴァイオリンを専門の楽器店の持ちこむ決心をした。
決心と言えば大げさだが、その大げさな言葉がふさわしいほど、20年もの間、その楽器を仕舞い込んでいたのだ。
この楽器は、19世紀のはじめ、チロル地方の工房で造られた古い楽器で、NJ滞在時代、ニューヨークのヴァイオリン工房で買ったものだった。 その当時は教会の聖歌隊に入っていて、ディレクターから乞われるままに、パイプオルガン、チェロ、フルートの奏者と共にヴァイオリンを弾く機会があった。また葬儀や結婚式の中で、パイプオルガンの伴奏でヴァイオリンをソロで弾くというシチュエーションもあり、それまで使っていたドイツの楽器を下取りしてもらってアンティークな楽器を手に入れたのだった。
けれど日本に戻ってきてからはアンサンブルの仲間もおらず、ヴァイオリンを弾く機会はなくなり、仕事と家事を両立させるのが精一杯という日常にヴァイオリンの出番はなかった。
何しろ古い楽器、中身がどんな具合になっているのか恐ろしく、ケースのふたを開けるのも憚られた。夢の中には時折、毛がばらばらになった弓と、ボディーが割れているヴァイオリンが登場していたから、実際の楽器もそんな風になっているような気がしたが、ケースを開けてみれば、差し当たり、壊れてはいなかった。
ともかくもこのヴァイオリンの調整と修復をすべく、専門家のところに持っていくことにした。このままではベートーベンの時代から生きてきた楽器に対して申し訳ない。 修理をした上で、もう一度ヴァイオリンを弾くか、そうでなければ、誰かに弾いてもらえるよう手放すかするのでなければ。
昨日(2月7日)に楽器店に持っていったところ、この楽器は長い間に渡り、様々に修理されながら生き延びてきた楽器で、これほど手が入っているということは楽器として価値があるからだということだった。糸巻きの交換だけでなく、もっと複雑な修理もする必要があり、かなり値の張るリペアとなりそうだ。今までほおっておいたのもそういうことの予測がついたからだが、こうしたことは長い年月を生き延びてきた楽器を持っているものの責任なのだろう。
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