たりたの日記
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母教会というのは、自分が洗礼を受け、キリスト者として育てられた教会のこと。
礼拝堂は数年前に新築されたものだが、元々の古い時代のデザインを可能な限り再現した礼拝堂なので、わたしにとっては相変わらず懐かしい場所。 礼拝堂の椅子は当時のまま。わたしの描いた落書きがどこかに残っているかもしれない。
牧師はその当時高校生だったTくんで、ますます牧師らしい、いい顔になっていた。 わたしがその教会の保育園児だった時お世話になったH先生とT先生も、わたしからすればあの当時のまま。
いつもいっしょに教会学校に通っていた近所のMちゃんや、他にも懐かしい方たち・・・ 折りしもこの日は召天者記念礼拝。すでに天国へ行かれた懐かしい方がたの写真が並べられていた。
この日の礼拝の最中に、長崎原爆の犠牲者に黙祷を捧げるための放送が市役所のスピーカーから流れ、1分間の黙祷を促すサイレンが鳴り、町中の人と祈りを共にする。
子供の時から、8月6日と9日の朝に被爆者追悼のためのサイレンが鳴れば、どんな事をしていても立ち止まって祈るよう、学校でも教えられてきた。また6日は登校日になっていて平和授業を受けたし、教員時代にはわたしも平和授業をした。埼玉県に越してきてからはこの一分間の黙祷のためのサイレンを聞いていない。他の市町村ではどうなのだろう。
家に帰って母に聴いてみると、大分県はどこも黙祷のためのサイレンが鳴るという。どこでもやっていると思っていたと母は言うが、そうではないのだ。いったいどの都道府県でそれが行われているのだろうか。
礼拝の後のお茶の時間に、長男の結婚式の写真と生まれたばかりの写真をみんなが喜んで見てくれる。なんだか親戚のようだと思った。 黙祷のサイレンも、親戚どうしのような人と人との近さも、すっかり忘れてしまっていたと思った。
この日は夕方、雨が上がるのを待って父のところへ。
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